いわの美術では『群鶏の画家』と呼ばれた清原啓一の絵画作品のお買取りを積極的に行っております。
清原啓一は花や鶏をモチーフとした作品を数多く世に発表してきました。
お客様がご売却を考えておられる作品群の中に、「清原啓一作品かな?」というような疑問をお持ちの絵画作品がございましたら、是非いわの美術まで一度お問い合わせください!
清原啓一は1927年、富山県砺波市中野に農家の長男として生まれます。
現在の富山大学人間発達科学部の前身の一つである富山師範学校を卒業すると、同県の津沢中学校の教師となりました。
清原啓一は中学校に勤務する傍らで同県砺波市出身の洋画家、川辺外治のアトリエに通いつめ3年もの間絵画について学びます。
1950年になると明治大学経済学部に編入し、上京致しました。
そして、大学を卒業した年(1952年)に日展(日本美術展覧会)にて初入賞を果たしました。
明治大学を卒業した後はそのまま東京で中学教師として勤務しつつ、人物画や静物画の制作に明け暮れることになります。
そうして絵画制作のモチーフを探しているうちに、実家で買っていた鶏に辿り着きました。
1954年の第10回日展で鶏をモチーフとした絵画作品を初めて発表します。
清原啓一はこれを皮切りに、この後60年もの間鶏を主な題材にした絵画フォーマットを確立するに至りました。
この一時も止まらず、表現が困難な鶏を描くにあたっては自宅の庭に鶏を飼う様にして、一日あたり50枚にも及ぶ写生をし腕を磨き続けました。
清原啓一は時代と共に鶏の表現方法を日々変化、進歩させております。
描き始めた当初は選んだモチーフを見たとおりに表現しておりました。
それが次第に動きや質量感に重きを置くようになり、生き物として忠実に描くようになります。
しかしこの次の段階に至ると、今までの流れを断ち切るかのように鶏を抽象化した表現になりました。
そして1970年代からは鶏を「描く」ところから鶏で「表現」するところにテーマが変化していきました。
1980年代後半からはそれに加えて日本の気候や景観を表現することにも挑み、煌びやかな装飾度の高い遊鶏図を描くようになります。
2000年代後半からは日本の四季の感じと、清原啓一の中で象徴的な存在にまで高まった鶏とをうまく調和させた豊かで美しい絵画表現へと変化していきました。
日本の美術界に鶏による美術表現を確立してきた清原啓一でありますが、2008年10月11日に亡くなりました。享年81歳でした。
いわの美術では清原啓一の油彩画作品のお買取りを行っております。
清原啓一は鶏をモチーフにした作品だけでなく、カーネーションや薔薇といったような花をモチーフにした作品も数多く出品しております。
清原啓一の油彩画作品は出品した年代やモチーフ、お品物の状態や付属品の有無で評価が大きく変わります。
お問い合わせはお電話かメール、LINEより受け付けております。
清原啓一「明染壷に薔薇」のご売却をお考えの方はいわの美術まで、まずは一度お電話を!