会寧焼をお買取りいたします。【2020年買取・新着情報】

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新着情報

会寧焼をお買取りいたします。

2020.12.14

会寧焼の鉢をお買取りいたします。

 


いわの美術で最近お買取りしたお品物から、会寧焼の鉢をご紹介いたします。

口縁と見込みに胎土がのぞき、細かな貫入のはいった白釉の景色が美しい逸品です。

会寧焼は李氏朝鮮時代の焼き物のひとつで、骨董人気の非常に高い古唐津にも通じる、失透釉の趣ある焼き物の一つです。



会寧焼とは

会寧焼は、粗めの胎土を肉厚につくり、白藁灰釉や黄褐色、海鼠、黒など様々の失透釉をかけ焼成される陶器です。

現在の北朝鮮に位置する会寧で、金の領土となっていた13世紀に焼成が始まったとされています。

高麗王朝の青磁や、李氏朝鮮の粉青沙器や白磁など、朝鮮半島の陶磁の主流となった陶磁器とは異なる流れにある、特異な焼き物とも言えます。


生活の雑器を焼く民窯であったため、現存する品物は李朝中期以降の、大振りの壺、鉢、碗、片口など日常で使う形の器が多く見られます。

会寧焼とその陶工達は、安土桃山・江戸初期から栄えた唐津焼の斑唐津・萩焼の白釉陶器などにも影響を与えました。

貫入や釉溜まりのある肌が景色をうみ、侘びた魅力から茶碗として見いだされた品もあります。



会寧焼の起源

会寧焼は現北朝鮮の北辺、中国との国境にながれる豆満江の沿岸にある、咸鏡北道会寧で焼かれた陶器です。

会寧では13世紀頃から近代まで、中国陶磁、とくに鈞窯(きんよう)の影響を受けながら日用の雑器を焼く民窯が続いてきました。

鈞窯の陶器は、失透性の澱青釉に銅を呈色材とする釉を重ね、空のような青に赤紫の斑紋が生じる美しさが特徴です。

元は鈞州(現在の河南省)にあった窯を指しますが、他の地方へも広く伝播し、同じ様式の焼き物を指す総称へと語の用法が変化したと考えられています。


会寧の位置する朝鮮半島北部には、12世紀初頭に女真族による帝国・金が建国し、北宋を南へ追いやり、鈞窯のある河南省を含む華北地域を領土としました。

鈞窯様式は異民族の金王朝をも魅了し、金の首都に程近い黒龍江州まで河南省鈞窯の陶工が連行され、窯を築くよう要請されます。

そして豆満江の対岸にある咸鏡北道会寧で陶土の発掘に至り、鈞窯様式が伝えられた会寧焼の焼成が始まりまったと伝えられています。

その後、元・高麗を経て李氏朝鮮中期の会寧焼は、交易と倭寇を通じて日本にももたらされました。

大韓帝国、日韓併合時代の後、第二次大戦後に朝鮮半島が南北に分裂してからは、会寧窯の現況・古窯の調査など、国交断絶と政治情勢などから不明瞭となっています。


 


会寧焼をお買取りいたします。

唐津焼・萩焼にも影響をもたらした会寧焼は、日本人好みの風情ある焼き物です。

厚めのつくりや白釉の景色が古唐津に通じる部分がありながら、骨董市場での価格は古唐津・斑唐津などに比べ手に取りやすいもので、より幅広い蒐集家に注目される品物と言えます。

骨董・古美術・中古美術市場に流通する会寧焼の多くは、李氏朝鮮の中期以降のお品物です。

日本でいうところの江戸初期、古伊万里など、中国では明末清初あたりの年代に相当する、古いお品物となります。

会寧焼であるか否かの判別には、お品物の来歴も手がかりとなります。

オンライン査定・お問合せの際には、お品物を手に入れた経路についてもお聞かせ頂ければ幸いです。


ご自宅やご実家のお片付け、蔵や倉庫を整理されて、ご売却をお考えの会寧焼がございましたら、ぜひ、いわの美術にお任せくださいませ。

お問合せはお電話・メール・LINEにて受け付けております。その他ご不明な点などお気軽にご連絡くださいませ。

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