木村盛和は『天目釉』と呼ばれる鉄の釉薬の第一人者で、『木ノ葉天目』の再現にも成功しています。
エメラルドやルビーなどの宝石母石を砕いた独自の釉薬で、多様な模様や輝きを生み出しました。
木村盛和 | きむら もりかず |
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1921年~2015年 | |
陶芸家 |
京都の陶芸の本場 五条坂で生まれ育った木村盛和は、国立陶磁器試験所に入所し、各地から送られてくる岩石・鉱石の調査や天目釉の研究などをしていました。
しかし5年後、戦争に招集されてしまいます。
皮肉にも派遣先は中国の天目茶碗の故郷のすぐ隣の省で、「生きて帰れたら必ず天目をやりたい」と誓ったそうです。
復員後は五条坂で開窯します。
自宅で制作後、共同登窯で焼くスタイルでした。
1964年に『天目釉変わり皿』が日本伝統工芸展優秀賞、日本陶磁協会賞も受賞し、天目釉の第一人者となります。
その2年後、山科清水焼団地に移り住んだ木村盛和は、当時まだ珍しかったガス窯を導入します。
このガス窯こそが更に深みのある油滴天目を可能にし、木の葉天目をも生み出すこととなりました。
木村盛和は800年前に中国で作られた油滴天目茶碗に憧れて天目釉の研究を始めたそうです。
本場中国でいくつか天目のアレンジがあり、天目茶碗の中に葉を焼き付けた『木ノ葉天目』はその中でも個性的で希少です。
木ノ葉天目の再現が実現したのは、木村盛和の技術と才能に加えて、地道な実験による所も大きいです。
試行錯誤を繰り返し、海抜200m程度の場所にある椋(ムク)の若木から枯れ落ちる時の葉が一番きれいに模様が出ることが判明しました。
窯の中で茶碗は17%縮みますが、葉は75~80%も縮んでしまう為、茶碗からはみ出るくらいの葉を入れて窯に火を入れ、あとは運まかせで成功率は10%未満だそうです。
この成功により、木村盛和の知名度が増々上がりました。
木村盛和は山科清水焼団地で10年活動した後、作陶に専念しやすい環境を求めて福井県に移住しました。
窯は登窯、重油窯、電気窯、ガス窯を揃え、釉薬を原石から砕いて生成する設備も整えます。
特に釉薬の研究に力を入れ、原石鉱物を求めて鉱山や離島を巡り、また各国から宝石母石を取り寄せました。
『油滴天目』『鉄銅釉』『ルビー釉窯変』『エメラルド釉窯変結晶』『クリソコーラ窯変結晶』など、過去の名作の再現だけでなく今までにない輝きを放つ釉薬を生み出します。
今回お買取りした作品の『エメラルド釉』の誕生は、700種類のテスト作品の中から、拡大鏡で小さな結晶を見つけたことがきっかけでした。
油の粒のような斑紋の油滴天目と違い、角張った幾何学模様のような斑紋が特徴で、この斑紋はコロンビア産のエメラルドでなければ出ないそうです。
エメラルド釉窯変結晶の作品は、明るい日光の下では赤味が強く、優しい光の下では黒にオーロラ色の結晶を浮かべ、光によって表情を変えます。
木村盛和は残念ながら亡くなっているので、現存する作品は非常に貴重です。
木村盛和の窯変結晶は、描かずに釉薬と炎のみで模様を生み出しています。
それぞれが唯一無二の作品であり、作品の出来によって価格が大きく変動するので、専門の査定人でなければ買取り価格の予想が難しい作家です。
買取り価格がお知になりたい場合は、写真を送付しての査定をお勧めします。
共箱、共布などの付属品はプラス査定となりますので、お持ちの場合は一緒に査定にお出し下さい。
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今回お買取りした『エメラルド釉 窯変結晶茶碗』は、虹色に輝く結晶が特に美しく出た作品で、状態も非常に良く、共箱・共布付きであったので、高価買取となりました。
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