こちらのお品物は古伊万里 芙蓉手の大皿で、いわの美術で高価買取させていただきました。
中央に描かれている柘榴(ザクロ)は、中国では魔障を払い子孫繁栄を意味する縁起の良い吉祥果です。
絵柄が左右対称でもあることから、中国の芙蓉手を強く意識して制作されたことが推測できます。
元々は中国の明の時代に景徳鎮の民窯で制作されていた古染付の一つです。
古くは宋の時代から官窯であった景徳鎮は、元を経て明の時代まで600年近く管理されてきました。
皇帝のリクエストに応える形での制作であり、作品は全て皇帝自身や外交手段に使われ、民間の運用は禁じられます。
しかし明の末期に国力の低下により管理が緩み、外貨を求めて民間での磁器の制作と輸出が始まり、白く薄く光を透す磁器はヨーロッパの人々を虜にしました。
デザインも制限がなくなり多種多様となり、芙蓉手はこの時ヨーロッパで人気となった文様形式の一つです。
その独特のレイアウトは、中央の大きな円に周辺の花びらのような区切りが芙蓉(ハス)の花に似ていることから日本では『芙蓉手』と名付けられました。
ヨーロッパでは大量に積んで運んでいた帆船(カラック船)の名前から、カラック磁器(Carrack porcelain )やクラーク・ウェア(Kraak ware)と呼ばれています。
このレイアウトは日本を始め、世界中で真似されることとなりました。
江戸初期は磁器制作の初心者であった日本は、景徳鎮の民窯をお手本として模倣品を制作していました。
王朝交代の内乱状態であった中国において、清王朝が1656年~1684年の間 海外との貿易を禁止します。
それによりヨーロッパ市場の磁器の需要は日本に向かうこととなりました。
1659年からオランダ東インド会社(V.O.C)を通じて伊万里から磁器が輸出されます。
日本の技術が未熟であった初期に一番注文が入ったのが芙蓉手です。
中国のコピーの他、徐々に日本風にアレンジを加えた芙蓉手も制作され、ほとんどが海外向けに輸出されます。
中国は文様には吉祥などの意味があり、濃く密な描写で左右対称を好みますが、日本は意味ではなく雰囲気を重視し、スッキリとした描写で余白の配置や左右非対称を好む傾向があります。
日本の輸出は25年後に清王朝が輸出再開したことから衰退していきますが、伊万里はこの間に飛躍的な進化を遂げました。
中国の芙蓉手は海外向けのデザインであり、中国国内向け磁器には見られません。
ヨーロッパを中心に人気を博し、以後のヨーロッパの陶磁器のデザインに大きな影響を与えました。
世界中で模倣され、日本の他に1630年代かそれ以前とされるイラン製やフランス製の芙蓉手スタイルの陶器が見つかっています。
清王朝の輸出禁止により芙蓉手のオリジナルの入手ができなくなると、当時栄華を極めていたオランダの商人は日本とペルシャ(イラン)から買い付けました。
オランダ黄金時代の静物画にも、芙蓉手が頻繁に登場しています。
同時にオランダのデルフト焼きでも、磁器を作る技術がなかったので陶器ではありますが、チューリップや帆船など日常の風景を取り入れた芙蓉手スタイルの陶器が生まれました。
更にはドイツ製やイギリス製と推定される芙蓉手スタイルの陶磁器も発見されています。
また芙蓉手スタイルの陶磁器は貿易の歴史を探る上でも重要な役割を担っています。
芙蓉手スタイルの陶磁器の破片は、アメリカ沿岸、アフリカ、中東、近東で発見されており、何世紀もの間海底に沈んでいた難破船の中から無傷で発掘されることもあり、多くの物語を語ってくれます。
日本だけでなく世界的にも人気が高い芙蓉手は、中古市場でも高い需要です。
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