こちらのお品物は、いわの美術でお買取りした古伊万里の蛸唐草文様大皿です。
見込には環状松竹梅、周辺には蛸唐草が描かれており、江戸時代後半に最も人気の組み合わせでした。
庶民化が進んだ時期の古伊万里であり 染付の美しさや出来によって買取価格は変動しますが、こちらは比較的良好な染付が施されているので良い査定額となります。
現在の日本でも縁起が良いとされている松竹梅は、中国が始まりです。
中国では歳寒三友(さいかんのさんゆう)と呼ばれ、宋の時代からモチーフとして絵画に描かれるようになりました。
冬でも色褪せない松、竹、そして花を咲かせる梅は、清廉潔白や節操の意味があります。
他に水仙・竹・梅の歳寒三友や、梅・菊の歳寒二友(さいかんにゆう)もありますが、松竹梅の組み合わせが一番使われました。
元・明の時代に磁器に描かれるようになり、日本の磁器にも模写されます。
松竹梅の意味も日本風に解釈されるようになり、長寿の松、繁栄の竹、風雅の梅となりました。
この輪に繋いだ松竹梅は環状松竹梅とも呼ばれています。
中心から外に向かう松竹梅は遠心力で潰され、円に沿って広がり繋がっている文様です。
初期伊万里では絵画的ですが、庶民向けの量産の時代では省略化が進み何か判らない程に略されている物もあります。
この環状松竹梅と蛸唐草の組み合わせは、江戸時代後半の伊万里で最も親しまれたモチーフです。
唐草文様は初期伊万里の時代から、隙間を埋める名脇役として重宝されてきました。
蔓植物ということ以外は自由にアレンジされ続けた文様であり、製作者の個性が光る様々な唐草が描かれ、蛸唐草もその一つです。
現在見つかっている蛸唐草で最も古い陶磁器はアメリカのネルソン・アトキンス美術館に所蔵されている中国・北宋時代の龍モチーフの花瓶(Flower Vase with Dragon Motif, Chinese, Northern Song Dynasty (960-1127))の高台部分です。
蛸唐草は日本の伊万里では江戸中期から人気が出始め、脇役から主役モチーフとなり、19世紀の江戸末期には蛸唐草の染付が大量に制作されました。
庶民化が進むほどに文様が大きく簡略化される傾向があります。
やがて一般に浸透しすぎた蛸唐草は飽きられ、戦後すぐの時代にはジャンク扱いを受け、毛虫みたいな柄であると『ゲジ』『ゲジゲジ』と呼んで嫌っている人もいました。
『蛸唐草』という名称は後付けであり、1950年代前半に使われ始め同時に評価も上がります。
現在でも人気のモチーフであり作品に使い続けている現代陶芸家も少なくありません。
同じ蛸唐草でも時代や製作者ごとに個性があり、自分好みの蛸唐草を見つけるのも楽しいのではないでしょうか。
伊万里の磁器制作は1610年に始まり、世界を虜にしていた中国磁器の模作に徹していました。
中国の王朝交代の混乱と輸出禁止により、ヨーロッパ市場での中国磁器の需要は1659年から日本が請け負うこととなります。
この間に日本の技術は躍進しましたが、中国の輸出再開により1729年には日本のヨーロッパ輸出0となってしまいました。
技術では中国が逆に日本の磁器を模作する程だったのですが、中国産のほうが1/5の平均単価であったことが原因です。
江戸の鎖国政策もあり、伊万里は国内需要にシフトチェンジをして大名や公家などの裕福層向けに制作していました。
1729年『天明の大飢饉』により単価の高い色絵の生産が減少しますが、染付を増産し庄屋や豪族などの中級層をターゲットとします。
そして1828年『文政の大火』では有田皿山がほぼ焼失し、質の高い色絵の制作が不可能となり、大衆向けの染付を生産することとなりました。
町人文化が花開いた時期であり、様々な雑器が庶民に愛用されます。
現在日本で手に入りやすい古伊万里は、この国内需要に専念した18~19世紀のお品物です。
時代背景から、時代を遡るほうが質の良い磁器を制作していたことになります。
しかし大衆向けの古伊万里でも人気の図柄や出来の良いお品物は高額査定になりますので、まずは無料査定をお試し下さい。
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