三浦常山の作品をお買取りいたします。
写真のお品物は、三浦常山(みうら じょうざん)の朱泥茶器です。
三浦常山は明治期に、佐渡で江戸時代から続く無名異焼を改良し、常山焼を確立しました。
おもに茶器を制作し、中国の朱泥・紫砂に近い、硬質で滑らかな陶肌が特徴です。
今回お買取りした煎茶道具では、5客の湯呑、急須、湯さましがセットになり、共箱も付属し高評価でのお買取りとなりました。
三浦常山は四代で途絶えてしまいますが、分派した小平窯から青磁の人間国宝となった三浦小平二を輩出しています。
初代三浦常山は本名を行篤といい、地元名士の家に1835年に生まれました。
13歳で父が亡くなると家督を継ぎ、16歳で母も亡くす境遇ながら、金銀山で知られる佐渡の産業を俯瞰し、近代化・機械化に伴う失業者増加を予見する先見の明がありました。
新たな産業振興の必要を感じ、初めは磁器製造のため職人を招聘しますが軌道に乗らず、その後鉱山から出る赤土・無名異を原料とする無名異焼に方向転換します。
地域の特産品として江戸末期に確立していた無名異焼は、鉄分から赤く発色し、中国の朱泥に似た性質を持っています。
初代三浦常山はこれに着目し、無名異焼を中国の朱泥茶器と並ぶ美術工芸へと高めることを目指しました。
日夜の研究が実を結び1877年に焼成に成功すると「常山焼」と名付け、以降4代つづく窯元となります。
内国勧業博覧会へ出品を続け十数回の受賞を重ね、常山焼の功績で農商大臣から功労賞を受け、1903年に病没しました。
その後、長男が二代三浦常山を継ぎ、その弟が三代、四代は二代の子が継ぎますが、1966年の四代目逝去とともに常山窯は幕引きを迎えました。
三代三浦常山の孫である三浦小平が小平窯を開き、二代目を継いだその長男・三浦小平二は、青磁にて重要無形文化財保持者となっています。
無名異(むみょうい)とは、酸化鉄を多量に含んだ赤土・無名異土を原料とした焼き物で、新潟県佐渡市で始まりました。
1819年に伊東甚平が佐渡金山から出る無名異で楽焼の焼成に成功し、1857年頃、伊東富太郎によって本格的に製造されます。
明治時代に三浦常山・伊東赤水らによって高温焼成による硬質陶器となる現在の無名異焼が完成しました。
佐渡以外でも、1906年に陶工の肥田泰山によって島根県の石見銀山産の無名異で焼かれた焼き物も無名異焼と呼ばれます。
こちらは1943年まで製造されたものの、現存数が極めて少なく、幻の焼き物と言われています。
いわの美術では美術品・骨董品を中心に幅広いお買取りを行っております。
茶道具・煎茶道具は安定した人気があり、中古美術市場でも需要の高いジャンルの一つで、作家物は高価買取が期待できます。
三浦常山の朱泥・無名異の茶器は、茶席に馴染む赤土色で人気が高く、今回のお買取りでも傷のない美品であったため、高評価となりました。
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