写真のお品物は、いわの美術でお買取りいたしました、11代三輪休雪の萩焼茶碗です。
隠居後の号である壽雪の名でも広く知られ、昭和前期から平成に至るまで長く活躍しました。
萩焼の名門・三輪家に生まれ、兄である10代と揃って人間国宝となっています。
1910年に山口県萩市に生まれ、本名は節夫といいます。9代三輪休雪(雪堂)を父に持ち、15歳離れた兄は後に10代三輪休雪(休和)となります。
1927年に旧制中学を卒業すると、兄に師事して本格的な作陶修行に入ります。
1941年、兄と交流があり三重県に窯を構えていた川喜多半泥子に師事し、茶陶の製作技法や桃山茶陶の精髄を学びます。
第二次世界大戦による招集期間を除き絶え間なく作陶を続け、通算30年もの修業期間を重ね満を持して独立、1955年から「休」の号で作家活動を始めました。
1957年には日本伝統工芸展で初入選し、連続入選ののち1960年に日本工芸家会会員に推挙されます。
そして1967年に72歳で隠居した兄10代三輪休和に代わり、11代三輪休雪を襲名します。
兄休和は1970年に人間国宝となり、その翌々年11三輪休雪は日本工芸会理事に就任、山口県指定無形文化財に認定され、1976年には紫綬褒章受章となりました。
1982年に勲四等瑞宝章を受章し、翌年、兄に続いて重要無形文化財「萩焼」保持者となり、史上初の兄弟揃っての人間国宝となりました。
1990年に勲四等旭日小綬章を受賞、2003年に長男・龍作に家督を譲り、三輪休雪を退き「壽雪(じゅせつ)」に改号しました。
改号後も作陶を続け、土練機を用いず土を踏んで作る工程もそのままに、晩年まで質の高い作品を作り続け、2012年に102歳で逝去されました。
11代三輪休雪は102歳の長寿を誇り、陶芸界随一の長命となりました。
作陶期間は非常に長く、若い時代の「休」の号のころから、晩年90歳代に入ってからも作陶を続けています。
50代半ばで三輪休雪を襲名したにも関わらず、11代三輪休雪としての活動期間は36年に及び、長男12代に家督を譲るのは2003年でした。
日本では1970年代から80年代にかけて焼き物ブーム、茶道の流行が起こり、11代三輪休雪の作陶全盛期は陶芸界のそれと重なっています。
この時代に多くの酒器・湯呑から茶陶や花器が生み出され、現在の美術市場でも往時の人気ぶりが伺える品々が散見されます。
それに対し90代となった2000年代の品物は数が少なく、美術市場での価値は希少であると言えます。
11代三輪休雪の作品では、兄10代三輪休雪(休和)とともに研究し、完成させた藁灰釉「休雪白」の美しさ、晩年にかけて名品を数多く生んだ「鬼萩」などの技法がみられます。
いずれも底面に銘がいれられ、作陶時期により「休」「休雪」「雪」と分かれ、陶印・掻き銘いずれかにより評価が変化します。
いわの美術では骨董品・美術品を中心に幅広くお買取りを行っております。
三輪休雪代々の作品は、茶陶・花器を中心に骨董界で非常に人気が高く、11代三輪休雪のお品物も盛んにお取引されています。
とくに三輪休雪としての後期、壽雪となってからの作品など晩年のもの、鬼萩の作品は、高評価である場合が多く見られます。
近現代の陶芸作品は、作家本人により誂えられた共箱が付属します。
共箱には作者・作品名などが直筆で書かれ、作品を判別する重要な手がかりとなり、箱の有無によって大きく評価が変わります。
そのほかの付属品には共布・栞・保証書などがあり、いずれも作品の評価を確かにする重要な物です。
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