吉田三郎は大正から昭和30年代にかけて活躍した彫刻界の重鎮です。
写実的で堅実な作風から『写実の名手』と呼ばれ、男性像、特に老人や労働者の作品に傑作が多くみられます。
吉田三郎 | よしだ さぶろう |
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1889年(明治22年)~1962年(昭和37年) 享年73歳 | |
彫刻家 | |
受賞 | 1918年 文展特選 |
1919年 帝展特選 | |
1950年 日本芸術院賞受賞 | |
就任 | 1935年 多摩美術短期大学彫刻科教授 |
西洋彫刻のロダンの影響を思わせる、写実を徹底した作風で、筋骨逞しい男性像が多く見られます。
しかしながら、力強い中に穏やかな優しさを感じさせるのは吉田三郎の独自の作風です。
初期は労働者をモデルにするなど社会的テーマが見えますが、晩年は群像や空間性を意識した作品に変化してきました。
また、写実だけに満足することなく人間の内面も表現することを探求し続け、得意の一つであった肖像彫刻は人物の人柄や雰囲気までをも表現し、深い人間性が溢れています。
東京美術学校時代は、板谷波山と青木外吉の指導を受け、同級生には北村西望、建畠大夢、斉藤素巌などに恵まれます。
石川県出身の吉田三郎は東京田端文士村に住み、室生犀星を含む文人仲間や多くの芸術家の中心的存在でした。
また、吉田三郎を頼って故郷の石川県から多くの美術家が訪れたと言われています。
1922年の平和記念東京博覧会審査員と第4回帝展審査員になった事を皮切りに、以後帝展、文展、日展など20回以上に渡り審査委員を歴任したことは、吉田三郎が芸術家として最高権威であったことが伺えます。
1922年 | 平和記念東京博覧会審査員 |
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帝展審査員 | |
1943年 | 日本美術及工芸会理事 |
1950年 | 日展運営会参事 |
1955年 | 日本芸術院会員 |
1956年 | 日本体育協会スポーツ芸術部理事 |
1958年 | 日展常務理事 |
1961年 | 日本彫塑家クラブ委員長 |
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吉田三郎は男性像や労働者像の他、肖像彫刻や小動物作品も多く手がけています。
今回いわの美術でお買取りした『丑』も筋肉の様子や風貌を見事に表現した素晴らしいブロンズ作品です。
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