いわの美術では平安東福寺の盆栽鉢買取を行っています。
平安東福寺は明治から昭和にかけて活動した京都出身の陶芸家で、本名は水野喜三郎といいます。
彼は京都の櫛職人の養子となり、櫛の制作を本業として趣味で盆栽を行っていました。しかしセルロイドの流行などにより、櫛制作は廃業を余儀なくされ、盆栽鉢の制作へと転業します。
平安東福寺が日本の盆栽鉢の作陶を行っていた時代は支那鉢(中国鉢)が全盛だったため、存命中はあまり評価されず、貧困生活を送っていたそうです。
しかし平安東福寺は造形、釉薬など独学でありながら多種多様な作品を生み出し、その使い勝手の良さに彼の没後評価は高まり、今や盆栽界で知らない人はいないという程になりました。
実用性の高い平安東福寺の盆栽鉢はそのいずれも木を植えてこそ映える作品で、使い込む程に味が出てきます。
使わずに置かれたままの盆栽鉢、平安東福寺の盆栽鉢、お持ちではありませんか?
盆栽趣味のあった家族の使っていたお品物など、平安東福寺の盆栽鉢ですと汚れやキズがあってもお買取りできる場合がございます。
初代平安東福寺の盆栽鉢買取はいわの美術にお任せ下さい。
盆栽鉢作家として活動した平安東福寺は盆栽鉢の他に水盤も制作しています。いわの美術では平安東福寺の作品は盆栽鉢、水盤ともにお買取りを行っています。
また初代平安東福寺の作品の他に、その息子、二代目平安東福寺の作品も買取が可能です。
二代目平安東福寺は本名を水野勇と言います。彼は戦時に召集を受ける前は父である初代平安東福寺の作陶を手伝い、戦後は運送会社に勤務していましたが、父親の死後に再び盆栽鉢を制作し始めています。
お手持ちの平安東福寺の作品が初代の作品か、二代目の作品か分からない場合でも、お問合せ頂ければ弊社の査定人がお調べしますのでご安心下さい。
いわの美術は平安東福寺に限らず、盆栽鉢では多くの買取実績がございます。
どのくらいの値段になるのかまずは買取額が知りたい、という方は当HP内のメールフォームより品物の写真を添付してお問い合わせ頂くと、大体の査定額をお伝えすることが出来ます。
平安東福寺の作品、ご売却をお考えの際は是非一度いわの美術にお問合せ下さい。