山形県出身の彫刻家・新海竹太郎はアカデミックで質実な作風で知られるがアール・ヌーボーの要素を取り入れたり、日本的、東洋的な題材を扱った異色作を数多く残している事で知られていますが、はじめから彫刻家になろうと思っていたわけではありませんでした。
仏師の長男として生まれ、幼い頃から木彫に親しんでいましたが、軍人を志し、上京して近衛騎兵大隊に入営しますが、士官候補生試験に失敗する日々を送っていました。
また、騎兵隊に所属していたことから馬に興味を持っており、その馬を手本にしながら手遊びで作った馬の木彫が隊内で評判となり、この時に彫刻家になる事を決意します。
除隊後、後藤貞行と小倉惣次郎に彫塑を学び、さらにヨーロッパに留学し、パリを経てベルリンに移り、ベルリン美術学校で彫刻部主任教授ヘルテルに師事しました。
この時に新海竹太郎はアカデミックな彫刻技法を身に付け作品に反映させています。
帰国後は太平洋画会の会員となり、以後同会の中心的な存在として活躍し、1904年に同会研究所が創設されると彫刻部の主任となり、朝倉文夫、中原悌二郎、堀進二など多くの後進を育てています。
新海竹太郎の作品は、北白川宮能久親王、有栖川宮威仁親王、大山元帥、南部伯爵などの著名な軍人の騎馬像を手掛けている事で知られており、馬をモチーフにした作品を多く残しています。
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