田中頼璋は、島根出身の明治から昭和初期の円山派の日本画家です。主に写生風の山水画を得意とし、虎を描いた傑作で知られます。
田中頼璋が16歳の時に長州の萩(現在の山口県)に赴き、森寛斎に師事しましたが、のちに上京し、川端玉章への入門という経歴があります。
明治37年、日本美術協会展覧会で「山居水住図」双幅で銀牌授賞し、これが田中頼璋の出世作となります。その後は、文展第2回で「鳴瀧」が3等賞、爾後文展・帝展に連年入賞するなど、数々の賞を受けます。帝展第5回では審査員に就任するなど、日本画壇の重鎮として活躍し、また、川端画学校の教授として後進の育成にも力を注ぎました。
田中頼璋は、ほとんど独学で腕を磨き、また画家としての出発が遅かったため先輩画家等から嫌がらせも受けたようです。その名を認められる前、田中頼璋若かりし頃には、40人いる客の中で末席から三番目、裁縫女教諭の次の席が指定されていたということがありました。田中頼璋はこのことに「芸術家を侮辱するものだ」と非常に憤慨し、この屈辱感をバネとして、努力に努力を重ね、日本を代表する有名な画家になったというエピソードもあります。
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田中頼璋の作風は「文人趣味と円山派の写実性の融合を目ざした」と評されています。田中頼璋の作品には、掛軸のスタイルの作品が多くみられ、日本画壇の重鎮的存在であった氏の掛軸作品などは、作品によっては高価買取になる可能性の高い作家です。
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