池田遙邨は、1987年に文化勲章を受賞した日本画の巨匠です。
幼いころより絵を描くのが好きだった池田遙邨は、15歳の時に松原三五郎の天彩画塾で洋画の手ほどきを受け、弱冠19歳で第8回文展に水彩画「みなとの曇り日」を出品し、見事、初入選をはたし、天才少年画家として名声を得ます。
その後は、小野竹喬との出会いなどにより、次第に日本画の世界に魅力を感じるようになり、竹杖会に入門、日本画に転向します。
池田遙邨の作品は、帝展など数々の賞を受け、文化功労者として表彰され、また文化勲章を受賞しますが、意外にも池田遙邨が日本芸術院賞を受賞したのは、64歳のときで、それは決して早い受賞ではなかったとされています。自然と旅を愛した池田遙邨でしたが、遙邨芸術のトレードマークとも言える狐や狸の描写は、この日本芸術院賞を受賞したころに頻繁に画面に表われるようになったそうです。
池田遙邨は安藤広重の東海道の絵に心酔し、最も好きな画家と言ってはばからず、自らも東海道五十三次を3度も旅したそうです。
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日本画家 池田遙邨は92歳で他界しますが、その長い生涯のほとんどを画業一筋に生き、亡くなる間際まで制作意欲を燃やし続け、多くの作品を残しました。
池田遙邨の大正後期あたりの作品には、ムンクやシャバンヌなどの影響を受けたものが多くみられその頃の作品は落選が続いたそうですが、大正末期から大和絵の新解釈にたった清新な作品を帝展に発表して画壇に認められます。
戦後にはユーモアと詩情に溢れる独自の画境を切り拓き、晩年には漂泊の俳人であった種田山頭火に心を寄せ、その句境の絵画表現に挑んだそうです。
池田遙邨が画境に新たな展開を見せたのは、現代日本画の可能性を探る上でも特筆すべきことであるといわれています。
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