江戸時代から昭和にかけて活躍した日本最初の女性洋画家と謳われたラグーザ玉(エレオノラ・ラグーザ)。いわの美術ではラグーザ玉の作品買取を致しております。
ラグーザ玉(旧姓 清原)は、当時、江戸の芝の増上寺の管理人の次女として生まれ、小学校に入る前から日本画家について絵を習い始めました。玉が、西洋画の写実表現と出会うのは、十代半ばのことです。彫刻を教えるために来日していた工部美術学校の教師ヴィンツェンツォ・ラグーザに遠近法や明暗法を学び、写生を通して描写力を磨いていきました。その後、学校が閉鎖となり、玉はラグーザとともにイタリアに渡り結婚します。
ラグーザ玉はイタリアのシチリア島のパレルモで本格的に油彩画に取り組み、西欧絵画のアカデミズム様式を身に着け、流麗な線と優美で明るい色彩による作品を生み出していきます。
はじめは西洋の神話や宗教を取材していましたが、次第に日本の娘を桜や藤の花とともに描き、日本と西洋の文化を一身に内包し、独自の画題が選ばれるようになります。
夫が亡くなりおよそ50年ぶりに帰国、そのときラグーザ玉は既に70歳を超えていました。
帰国後は日本の画家とは交わることなく、身近な花々を楽しみながら描きだし、画家としての人生をまっとうしました。
海外では、ニューヨーク国際美術展覧会で婦人部最高賞を受賞するなど画家として活躍したラグーザ玉ですが、日本では無名で、新聞社が玉のことを知りあて、連載小説にしたことがきっかけとなり、日本各地で展覧会が催されるようになり一躍有名になったといいます。
西欧絵画の手法を身に着け、自ら選んだ特異な道を進み、イタリアで活躍した日本初の画家 ラグーザ玉。いわの美術では、稀少なラグーザ玉の油彩画など高価買取致します。
異国の地で、甘美な世界を華やかな色彩で描き続けたラグーザ玉。「私は自分の愛する夫であると共に自分の最も頼りにすべき父であり、又尊敬する先生であると思ってヴィンツェンォ・ラグーザに仕えてまいりました」(自叙伝より抜粋)とイタリアの地にあっても日本人女性らしい言葉が時代背景を物語っています。我慢強い明治の女、ラグーザ玉の像がパレルモ近代美術館に収蔵されているそうです。
日本よりもイタリアなど海外での認知度の高いラグーザ玉ですが、代表作として春、天楽礼讃、昇天祭の夜などがあり、また、イタリアのパレルモの風景を中心に描いた秀作が残されています。
ラグーザ玉の作品は、彼女の帰国とともに殆ど日本に持ち帰られましたが、第2次世界大戦の空爆などで消失したともいわれ、その作品は稀少価値の大変高いものとなっており、いわの美術でも高価買取対応の作家となっています。
ラグーザ玉は、清原多代、エレオノラ・ラグーザなどいくつか名前をもっているため、作品によりサインが異なりますので、作品ご売却の際は作品自体のサインとあわせて、共シールなどの表記もご確認くださいませ。
買取査定の際は、共シールや共箱がご一緒ですと作品の真贋を見極める判断材料のひとつとなり、買取査定額にプラスに働きます。
ラグーザ玉の作品のご売却をご検討でしたら、美術品の買取に強いいわの美術まで是非ご連絡ください。