池田蕉園は、明治から大正時代にかけての女性浮世絵師、日本画家です。いわの美術では、甘く感傷的な女性像で時代を風靡した東京画壇の華と称される池田蕉園の作品買取をしています。
幕末~明治初期にかけての鉄道界の功労者で、書画などにも通じた榊原鉄硯の娘として生まれた池田蕉園は、幼い頃より画才がありました。16才で水野年方の門に入り、着実に画壇での存在感を示していきます。
そんな池田蕉園が画家として大きな成長をみせたのは、婚約して間もない同門の池田輝方が、年上の女性画家とともに失踪してからのことで、このことを機に、恋人の面影を追うかのような、甘く感傷的な女性像を確立していきます。そして文展で目覚ましい活躍をみせて美人画ブームを巻き起こし、時代を象徴する人気画家となりました。
長い間放浪生活を送っていた池田輝方はようやく蕉園のもとに戻り、二人は結婚、蕉園は10年にも及ぶ恋を実らせます。以後、美人画家として夫婦揃って文展で受賞を重ねるとともに屏風や双幅を合作したりもして、「文展のおしどり画家」とよばれました。しかしそんな幸せな生活は長く続かず、31歳という若さで、池田蕉園は病没、後を追うように池田輝方も他界してしまいます。
池田蕉園は、京都の上村松園、大阪の島成園とともに「三都三園」とよばれた人気の高い美人画家です。
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池田蕉園が画家として充実した制作を行っていた明治末期から大正初期あたりは、文芸界では耽美的、異国趣味な風潮の時代でした。
池田蕉園も泉鏡花の小説に読みふけり、その幻想的な世界に浸り、鏡花文学の熱烈な支持者の集まりである「鏡花会」にも参加しています。池田蕉園の描く女性像は、鏡花文学に傾倒した蕉園の資質によって生み出され、時代の風潮にも支えられたといわれています。池田蕉園は美人画を得意としましたが、とりわけぼんやりと夢見るような女性や物憂げな女性の姿がその作品には多くみられ、また、その作品は江戸時代初期の風俗画を参考にした古典的表現が見受けられます。
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