女性洋画家で唯一の文化功労者 三岸節子(1905~1999)。いわの美術では、不屈の精神で女性画家の地位向上を目指した三岸節子の作品買取をしています。
愛知県一宮市に生まれた三岸節子は、女学校を卒業した後、女子美術学校(現 女子美術大学)で油絵を学びました。29歳で夫の洋画家 三岸好太郎と死別し、子育てをしながら、静物画を描き続け、63歳から渡仏して風景画家として歩み出す。自由で力強い制作で女流画家の旗手的存在として画壇における女性の地位確立に寄与しました。
三岸節子の生きた第二次世界大戦前の封建的な日本社会における画壇の構造は、女性画家の活動を大幅に制限するものでした。
画家を志す女性すら極めて稀であった時代に洋画画家として世に立とうとした三岸節子の長きに亘る画家としての活動は、女性画家を軽視する風潮を跳ね返し、その地位向上を目指す戦いであったといえます。女性主体の団体展の結成など、制作にとどまらない三岸節子の試みは次第に実を結び、晩年にはその画業と女性の地位向上への功績が認められ、女性の洋画家では初めて文化功労者として顕彰されました。
三岸節子の作品は描く対象と節子自身が一体化するような親密なつながりの中で生み出され、画題として選ばれたのは、室内の生活情景や、器や果実や花々など日々の生活の中で目にするものばかりです。
優れた色彩感覚や造形性にささえられた三岸節子の作品は、今もなお人々を魅了し続けています。
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三人の子育てや家事をこなしながら絵を描いた三岸節子にとっては、身近な室内の光景は描きやすい題材であったのでしょう。その作品には、マチスやボナールの豊かな色彩からの感化がみられます。
三岸節子の画風は、油彩画で深い精神性をもった重厚なイメージ画を展開し、初期の作品は暗いブラウン系なものが多く、次第にグレーやベージュへ移行、晩年の作品は色に近い鮮やかな色調を用いています。
特徴的な大胆な構成と色彩により現代日本洋画を代表する女流画家 三岸節子。いわの美術では、三岸節子の作品買取を強化しています。
三岸節子の肉筆油彩画だけでなく、リトグラフなど版画作品も、作品により高価買取致します。買取査定時には、外箱や共箱、共シール、東京美術倶楽部などの鑑定書など、作品を証明する書類などがございますと、買取査定のプラス評価となり、買取額アップにつながります。
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