川村清雄は1852年(寛永5年)に江戸でお庭番の家系に生まれました。
7歳の時、住吉派の絵師・住吉内記に入門したことを皮切りに、
南画家の田能村直入 花鳥画を得意とした春木南溟、川上冬崖、高橋由一らに師事し、
明治維新のもと、徳川家達に従い、静岡に移住しています。
川村清雄は明治四年から明治九年の間、徳川宗家の給費生としてアメリカに渡りました。
その後は画業を志して渡ったフランスでは、ド・カリアスに師事します。
明治九年よりイタリアに渡りベネチア美術学校に学びました。
ここで受けた西洋画教育はフランスのアカデミック美術やヴェネツィア派の系譜を引く、極めて正統的なものだったのです。
川村清雄は明治14年(1881年)再三の留学延期願いを却下され、悔しくも帰国します。
その去り際、師匠として交流があった画家・マルティン・リコ・オルテガから、
川村清雄は「日本趣味を失わないように」と書簡を渡されていました。リコはジャポネスクを愛し、日本文化を尊重した画家の一人でした。
帰国後の川村清雄は日本的伝統を重んじ、日本画の材料と手法を積極的に取り入れました。
日本家屋に適した縦長・横長の画面形式を用い、季節感を生かし、筆触の際立った作品を描き続けました。
川村清雄の油彩画、肖像画、素描、水彩画に共通する川村清雄の筆致はしっかりとした線描にあります。とくに川村清雄は素描を多く遺しています。
川村清雄は西洋の歴史画の様式を日本美術の描画に導入し、日本美術における洋画、近代絵画の礎を確立する中で重要な役割を果たしました。
川村清雄は写実的な画空間の中で光がどこから射しているのかをはっきりと定めることで可能となる
明暗のグラデーションの豊かさを、日本の古典にある神話や物語主題として描き出すなかに表現し
維新・明治初期の日本独自の洋画、という表現のあり方の一つを提示しました。
川村清雄の油彩画は西洋の伝統的な油画技法を用いたために堅牢な画を遺しており、保存状態が比較的良いという傾向を持ちます。
川村清雄の画作りにおける白絵具はシルバーホワイトを常用しており、使用した溶き油はポピーオイルが主で、油彩の筆と面相筆をやや多く用い、ペインティングナイフもよく使いました。
川村清雄の作品のほかにも買い取ることができる美術作品は多数ございますため、川村清雄の作品とあわせてのご相談を歓迎いたします。
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