写真のお品物は、北大路魯山人による赤呉須の盃です。
美食家・評論家・陶芸家として、多彩な活躍をみせた無二の才人である北大路魯山人は、多岐多彩な陶芸作品を残しています。
古今の伝統技法をわが物とし、さらに独創を加えた至高の逸品は、数多の骨董蒐集家たちを唸らせてきました。
白磁に赤を基調として花鳥や吉祥の文様の絵付けを施した磁器を呉須赤絵と呼びます。
一般的な呉須赤絵は地色の白が見え古典的な絵付けですが、北大路魯山人の呉須赤絵は広範囲が赤で覆われ、モダンでシンプルなデザインとなることが特徴と言えるでしょう。
織部焼の人間国宝を辞退したことで知られますが、作陶は多方面の技術を取り入れており、流派に属さず限定されない独創的な作風と言えます。
作陶の点数も非常に多く、書や篆刻、絵も残したにも関わらず、陶芸作品のみで2~30万点にも及ぶと伝えられています。
作風は多岐にわたり、志野・瀬戸・織部・備前・唐津・九谷・高麗写し(粉引・刷毛目・伊羅保・井戸)などの技術を駆使し、最初に武器となった書や自由な絵付けも魅力を添えています。
同時代に活躍した荒川豊三は、魯山人の蒐集した古陶磁を手にとり、1920年代の星岡窯で作陶の監督業務を行っています。
そして1930年に美濃大萱で古窯跡を発見し、志野の発祥地を突き止め、再現に挑み成功し
1955年人間国宝となっています。
荒川豊三の発見によって魯山人も織部古陶片の自由な釉調に魅了され、魯山人もまた志野と織部の再現に注力し、長い作陶生活の中心となりました。
北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)は1883年に京都上加茂神社の社家に生まれますが、不運が重なり養家を3度変わる幼少期を過ごしました。
赤い躑躅の鮮やかさに感動し3歳で美に目覚め、最終的な養家となった福田家で6歳から炊事役を担ったことが、美食家となる礎となります。
丁稚奉公の最中に竹内栖鳳の看板を目にして画塾を志すも経済的に難しく、養父の仕事場で扁額や篆刻の手伝いを通して、後の魯山人芸術につながる素養を養いました。
書の才能のあった北大路魯山人は、書道コンクールに次々出品し受賞を重ね、得た賞金を貯めて初めての絵筆を買い我流で描き始めました。
20歳のとき実母を訪ね上京し、そのまま東京にて書家として活動、翌年の日本美術会主催の展覧会で千字文が褒状一等二席となる快挙から、美術界で頭角を表します。
岡本可亭のもとで弟子として2年修行し1907年に書家として独立、まもなく中国北部を歴訪し書道と篆刻への見識を深め、帰国後は長浜や金沢の素封家のもとで食客となりました。
1917年に中村竹四郎と知り合い古美術店の大雅堂を共同経営し始め、ここで古陶磁を食器に用いて常連客に高級料理をふるまったことを発端に、1921年に会員制の食堂「美食倶楽部」を開業します。
「食器は料理の着物」という哲学のもと、自ら料理に合う食器の創作を始め、生涯にわたる作陶家としての芸術活動が始まりました。
関東大震災後も再建し、1925年には赤坂山王に新たに会員制料亭「星岡茶寮」を開業、料理と作陶で天才との評価を得て一躍時の人となりました。
1927年、神奈川県の北鎌倉に魯山人窯芸研究所として「星岡窯(せいこうよう)」 を築窯し、翌年日本橋三越にて星岡窯魯山人陶磁器展を催し、好評を博します。
1935年には星岡茶寮大阪店も開設に至りますが、自他に厳しく批評的な言動や惜しみない出費は経営に暗雲をもたらし、翌年星岡茶寮を追われました。
茶寮はのちに大戦の戦禍で焼失しています。
茶寮の客人であった名士の人脈に助けられ陶芸家として再起し、戦後銀座に自作の直営店「火土火土美房(かどかどびぼう)」を開店、在日外国人からも支持を得ます。
波瀾を超えた魯山人は国内外で陶芸家・芸術家として不動の地位を築き、北鎌倉の窯場には外国人も作品を買いに訪れました。
イサムノグチ夫妻との親交、ロックフェラー財団招聘によるアメリカ・ヨーロッパ周遊など華やかな活躍を広げながら、地道に作陶しながら個展開催を続けます。
1955年に織部の重要無形文化財保持者に指定されるものの、無位の真人であることを求めた魯山人は二度辞退します。
推挙した小山富士夫もこれを理解し、魯山人は多方面の才能を発揮しながら終生いずれの団体にも属さない孤高の芸術家を貫きました。
織部での人間国宝は以来一人も推挙されておらず、魯山人の技術の確かさが窺えることでしょう。
1959年に京都美術倶楽部で書の個展を催し、今後は書を中心に活動するとした後、同年76歳で逝去となりました。
生涯にわたり精力的に作陶を続けた魯山人の作品は、当時から他と一線を画す存在でしたが、現代でも変わらず骨董愛好家に蒐集されています。
実用のために作られていたこともあり、中古美術市場に登場する作品には、実際に使用されていたものも多くあります。
今回お買取りいたしましたお品物も、鉢の見込みにある「魁」の文字にかすれがあり、これは食器として実際に使用されたことを物語っています。
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