茶杓は千利休の『侘び茶』の流行により竹が主流となり、使い込まれた茶杓が風流とされました。
『侘び茶』を守り続けた宗偏流10代家元の書付 茶杓はまさに侘びの真髄です。
山田 宗囲 | やまだ そうい |
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1908年~1987年 | |
茶道山田宗徧流不審庵 10代家元 | |
受章 | トルコ文化勲章(1980年) |
勲三等瑞宝章(1985年) |
宗徧流は350年以上継承されてきた千利休の流れを汲む歴史ある茶の湯の一派です。
遡ること1591年に豊臣秀吉の命により切腹した千利休の没後、孫の千宗旦は祖父の死の教訓を厳しく見つめ、経済的に苦しくても大名に仕えることはなく、簡素簡明を第一とした『侘び』に徹しました。
千家の復興に全力を注ぎ、後に千宗旦の子供達はそれぞれ大名仕官し、表千家・裏千家・武者小路千家の祖となりました。
そして千宗旦の愛弟子で最も信頼の厚かった山田宗偏が、千宗旦の『侘び茶』に惚れ込んでいた小笠原家に全権大使として仕官したのが宗徧流の始まりです。
現在は神奈川県鎌倉市にて11代家元 幽々斎 山田宗徧が当主です。
幼少期は実業家で多忙な父親はほとんどトルコにおり、山田宗囲は大阪で育ちました。
東京帝国大学(現在の東京大学)法学部を出た後、興銀に入り、後に父親が経営に関わっていた三島製紙で常務を務めます。
同時に茶道では宗徧流明道会副会長、会長を務めていました。
そして宗徧流の8代家元であった父の死後、遺言により9代の姉を経て10代家元を襲名します。
しばらくは山田宗囲を名乗りますが、小笠原家への依存の為に武家茶道へ偏りつつあった宗徧流を「自由闊達な茶風に戻したい」と原点回帰すべく、流祖と同じ『宗徧』を襲名しました。
さらに鎌倉に移り住み、京都の一条恵観公山荘の茶室を邸内に移築復元し、後に国の重要文化財の指定を受けています。
茶道以外でも、父親と2世代に渡ってトルコの民間大使として大きく貢献し、トルコ政府から文化勲章を授与されました。
10代家元の父である8代 山田宗有は15歳の頃に後継者に請われて養子入りしましたが、7代が亡くなった時に若くして家元になることに興味がなく、実業家 山田寅次郎として活躍し、また日本から帰国中のトルコ船遭難事件では多額の義援金を集めたことがきっかけでトルコとの親善を深めました。
今でもトルコで一番有名な日本人であると言われています。
40年近く家元不在の中、弟子達の懇願により8代家元を襲名し茶道の活動を盛んに行いながらも、三島製紙(現在の日本製紙パピリア)の社長・会長になるなど非常にバイタリティの溢れる人物でした。
山田宗有の人生はいくつかの著書にもなっており、近年では山田宗有の孫の和多利月子が『明治の男子は、星の数ほど夢を見た。』を出版しています。
家元の書付があることにより価値が上がる茶杓ですが、茶杓そのものには何も記載されていないので、竹筒と共箱の有無によって買取価格が大きく異なります。
また、竹筒や共箱が揃っていても茶杓だけ別の物に入れ替わっていることもあるので、真偽の確認はプロの鑑定士に任せるのがお勧めです。
保管状態によっても買取価格が変動するので、乾燥による割れや虫食いにご注意下さい。
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