高田博厚の彫刻作品をお買い取りいたします。【2018年買取・新着情報】

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新着情報

高田博厚の彫刻作品をお買い取りいたします。

2018.8.3

高田博厚の彫刻作品をお買取りいたします。

 


写真のお品物は、高田博厚のブロンズ彫刻作品「女のトルソ」です。

高田博厚は彫刻と並んで翻訳・著作でも知られ、文学と哲学のひろい教養に裏付けられた感性と、長い在仏生活で薫陶を受けたフランス文化の精神性の根付く彫刻作品を制作しています。

 

高田博厚について

高田博厚(たかた ひろあつ)は1900年に石川県にて誕生し、3歳の時に父親の弁護士開業に伴って福井市に移り住みました。

ほどなくして父が早逝してしまうと12歳ころから父の蔵書を読み漁るようになり、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」に深い感銘を受けます。

文芸に長け早熟であった高田は旧制中学に好成績で入学すると優秀な生徒となり、美術・文学・哲学に熱中しながら過ごし、15歳になる頃にはシェイクスピアを原文で読み、ゲーテやドストエフスキーは英訳本を読むほどになりました。

1918年に卒業すると東京へ移り、高村光太郎や岸田劉生、岩田豊雄ら美術と文芸界の重要人物たちと交流をもち、とくに高村光太郎とは終生親交をもち続けます。

その後東京外国語学校イタリア語科に入学すると語学に並みならぬ才のあった高田は入学3か月後でダンテやルネサンス期の著作物をラテン語で購読するほどになり、翌々年1921年に出席不足で落第となって退学しますが、尾崎喜八の勧めで「ミケランジェロの書簡」訳出を「白樺」誌上に掲載して文筆業で生計を立て始めます。

同時期に美術制作の主軸を絵画から彫刻へと移し、高村光太郎から借用した彫刻台を用いてトルソを中心に作品を作り始め、完成作ならびに制作途上の作も高村には見せるものの、まだ公表することはありませんでした。

1923年の関東大震災で窮状は悪化し最後の財産で西荻窪にアトリエを建てますが、腸チフスを患い闘病の末退院すると生活は困窮を極め、下高井戸に芸術家の集合住宅を設えそこで数年暮らすこととなります。 

翻訳と作品制作を平行しながら様々な分野の知識人や美術家との交流が広がり、武者小路実篤や草野心平、中原中也や小林秀雄らとも出会うと、高村光太郎の勧めで武者小路の主催した1926年の大調和展にて初めて彫刻作品を公表します。

渡仏以前のこの頃すでにフランスの芸術・文芸人に名の知れていた高田は、当時違法であった共産党員を匿った事で投獄されるとフランスから見舞状が届くほどでした。


1931年に初めて渡仏し、ロマン・ロランの訳者であり愛好家であった片山敏彦の案内でヴィルヌーヴのロマン・ロラン邸を訪れると、高田の彫刻作品を写真でみたロランは自身の像の制作を望み、その後マハトマ・ガンジーとの会談の席に素描のため同席しました。

また彫刻において高村光太郎の導きとともに大きな影響を受けていた、ロダン、ブールデル、マイヨルの作品に直に触れ、のちに著作も記しています。

文化人との旺盛な交友関係はパリでも健在で、ポール・シニャックやジャン・コクトー、ヴィルドラック、オーギュストらと親交を持ち、日本・フランスともに政治的混乱と思想統制などで苦しい時代であった1930,40年代の間フランスに滞在し続け、彼らの塑像を制作しました。


1938年にはパリ日本美術家協会を設立し、人脈と情報網から在欧日本人のための日仏通信の発刊も始めるなど活動は多岐に渡り、1940年から毎日新聞の特派員となると持ち前の語学能力が活きヴァチカン法王庁のパリ支所と連絡を取り、フランスがドイツ政権下におかれた5年間正確な情報を届け続けました。

終戦前後の混乱で一時ドイツへ移るものの1946年にパリへ戻り、1948年からカンヌ国際映画祭の日本代表を10年間務め、27年間の滞在に終止符を打ち1957年に日本に帰国します。

帰国後は制作・講演・執筆に忙しく、フランスの精神文化を伝える著述は高田のファンを増やし今なお支持されています。

新制作協会会員、日本美術科連盟委員となり日本の美術界で地位を確実にすると東京芸術大学の講師も勤め、高村光太郎賞の選考委員に抜擢され、自身も在仏中に亡くなった彫刻の師であり同志の高村光太郎の像を制作しました。

晩年は鎌倉にアトリエを構え、常に探求心を持ち続けながら86歳で亡くなりました。



高田博厚の彫刻作品をお買い取りいたします。

高田博厚の彫刻には人物の頭像とトルソが多く見られ、いずれも簡潔な構成の中に鋭い洞察力と繊細な表現力が満ちた秀作となっています。

今回お買取りしました写真の作品「女のトルソ」は、高田の人間および人体に抱く哲学に基づく見事な造形美を見せており、またご購入時の保証書が本革のケース入りであるなど高評価でのお買取りとなりました。

頭部と手足を描いた胴体のみのトルソは、ギリシアヘレニズム時代の彫刻作品が欠損して出土したことに由来し、西洋美術史でトルソを完成作とするようになったのはロダン以降となっています。

ロダンは手足を欠いた胴体はかえって凝縮された存在感を得ていると語り、高田もまた彫刻への美学を伴って秀作を産み出しました。

いわの美術では美術品・骨董品を中心に幅広くお買取りしており、高田博厚の彫刻作品も過去にお買取り実績がございます。専門の査定員が拝見し、市場を鑑みた最高値をご提示できるよう尽力いたします。


ご自宅やご実家、蔵や倉庫のお片付けでご売却をお考えの高田博厚作品がございましたら、ぜひ、いわの美術へご一報くださいませ。高田博厚の作品は彫刻のほかレリーフ、油彩なども残されており、お品物のお買取り価格は作品のモチーフや大きさ、状態により左右されます。

お買取り査定のお申し込みはお電話・メール・LINEにて受付しており、メール・LINEでお写真をお送りいただきますとオンライン無料査定が可能となります。混雑時には順次回答させて頂いております、予めご承知おきのほどお願い申し上げます。



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