こちらの作品はいわの美術でお買取りした文化勲章作家・富永直樹による猫のブロンズ像『家の大将』です。
『平和の叫び』など人物像で有名な富永直樹ですが、動物好きであり奥様の家で代々猫を飼っていたことから猫モチーフも多く制作しています。
造形の美しさや表現力に加え、富永直樹の猫への愛情を感じずにはいられない作品ではないでしょうか。
1913年に長崎で生まれた富永直樹は中学の時に、街で見かけた同郷の彫刻家による官展出品作をきっかけに彫刻の道へ進むこととなりました。
1933年20歳の時に東京美術学校彫刻科塑造部に入学、長崎出身の北村西望に師事し、在学中にすでに才能を発揮し『F子の首』が日展の前身の文展に初入選します。
第二次世界大戦の間は群馬に疎開し、広島と故郷の長崎に原爆投下される形で終戦を迎えました。
富永直樹は戦後の復興期から大躍進を見せ、1950年から日展の特選を3年連続で獲得、翌年には審査員、後に評議員を経て理事長に就任するなど、彫刻界を牽引します。
またダイヤル式の『黒電話』で知られる『国産4号電話機』をデザインしたことでも知られ、三洋電機に在籍し数々のヒット作を生み出し、工業デザインの先駆けになった芸術家でもありました。
彫刻であれば裸婦像という時代に、穏健な写実をもとに理想を加えた人物像、特に男性の着衣像を多く制作し新境地を開拓します。
出身地が長崎という土地柄、異国文化やキリスト教にまつわる作品も多く制作、心身ともに健康で円満な人格形成こそが芸術であるという信念のもとに創作活動を続け、文化功労者、勲三等瑞宝章、文化勲章を受章し、多くの功績を残した昭和~平成を代表する彫刻家です。
富永直樹は原爆被害に苦しむ故郷の長崎に思いを寄せ、1951~1955年に同郷で師の北村西望が平和公園のシンボルとなる『平和祈念像』を制作した際は、制作助手を務めます。
自身も長崎平和会館前に公共彫刻『原爆殉難教え子と教師の像』(1982年)を制作し、高い評価を受けていました。
しかし1996年に依頼を受けた平和公園の『母子像』では、市の独断や対応のまずさ、設置場所などを発端として、住民、被爆者団体、キリスト教関係者などから酷評を受けます。
住民の合意のない巨額の税金の無駄遣いとして母子像撤去訴訟が起こり、富永直樹が他界する2年前となる2004年の最高裁判所まで持ち込まれ、結果撤去は認められませんでした。
このような公共彫刻の問題は富永直樹に限らず度々起こっており、その多くは自治体や依頼者の問題であるにも関わらず意図しない解釈をされ芸術家を苦しめています。
富永直樹は動物の作品も多く残しており、作者のいとしさ溢れる感情が感じ取れます。
動物の中でも特にペルシャ猫が人気で、『僕らの遊び場』『大将の椅子』『みんな僕の友達だ』は中古市場でも非常に需要が高く、少女が猫を抱きかかえた『私の宝物』、女性が膝に猫を抱いてくつろいでいる『好日』など、猫と人間の彫刻も素晴らしいです。
猫以外には十二支の作品も制作されていて、馬の作品『カンタカ』が人気となっています。
長崎県美術館蔵の『タロ・ジロの像』(1987年)は、南極物語で有名なタロ・ジロの剥製が富永直樹の元に送られた上で制作されました。
「後進の教育のため、作品は触ってもらってよい」という富永直樹の意思を尊重して、直接触れられるように展示され、子どもたちに撫でられ続けた二匹の鼻はいい味が出ているそうです。
心温まる富永直樹の動物彫刻は現在でも高い人気となっています。
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