津雪の彫金作品をお買取りいたします。
写真のお品物は、いわの美術でお買取りいたしました、津雪の銀製小菊香合です。
津雪(つせつ)は明治時代から昭和初期にかけて活躍した彫金師です。
江戸時代から鋳物の町として栄えた富山県高岡市を拠点とし、とくに香炉や香合など煎茶道具の名品を数多く遺しています。
富山県高岡市の鋳物業は、江戸時代初期の加賀藩二代藩主・前田利長に奨励され盛んになりました。
1611年に加賀藩の新たな産業として7名の鋳物師(いもじ)と彫金2名の彫金師が招聘され、鋳物工場を開設し藩をあげて鋳物師の保護育成に力を入れました。
鉱山と水脈に恵まれた立地を活かし、初めは鍋や釜、鋤や鍬など日用品と農工具の鉄器を作り、江戸後期となる宝暦年間ころに釣鐘や灯篭などの銅器の生産が始まります。
明治時代に入り廃刀令が出されると、刀装具を担っていた金工が銅器産業に参入します。
富山県には鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて宇多派という刀工が栄えた歴史があり、刀装具に優れた細工を施す金工も盛んでした。
明治以降、銅器産業にはこの金工により美術的な意匠が持ち込まれ、殖産興業で美術工芸品の製作が後押しされ、高岡銅器はさらなる発展を遂げます。
第二次世界大戦中は軍用機部品の生産に転じましたが、戦後のアルミニウム工業の発展の契機ともなりました。
1950年代にはアメリカ向けの輸出銅器の生産が盛んとなり、再び増えた国内需要とともに銅器メーカーが集合、公害対策の観点も含め1970年代に高岡銅器団地が建設されました。
1975年に高岡銅器は国による伝統工芸品に指定され、販売額はバブル経済時期を頂点に下落傾向にあるものの、依然として国内の銅像・梵鐘などの生産高一位を誇っています。
近年では薬師寺東塔の相輪修復を担うなど、高岡は銅器産業で他にない存在感を持ち続けています。
津雪(つせつ)は本名を黒谷津次郎といい、1872年に富山県高岡市に生まれました。
銅器産業が発展し、金工に囲まれた環境で育ち、独学で仏具や花器の彫金技術を習得し、20歳で独立開業に至った実力派です。
津雪が若年期をすごした明治時代は、銅器産業に彫金師の技術が流入し、万国博覧会への出品を目指して美術工芸品として奨励され、高岡銅器が飛躍的に発展する時代でした。
津雪も技巧を凝らした細密な立体表現を得意とし、1913年に帝展で入選、1916年のベルギー万国博覧会でも入選しています。
この時代の高岡彫金は、花鳥の図柄が多いことが特徴に上げられ、津雪の作品も同様に花鳥を主なモチーフとした香合や香炉などを多く残しています。
後進の指導も行いながら、美術的価値の高い作品製作を続け、1937年に67歳で逝去されました。
高岡の鋳物と彫金の伝統技法が結実した明治~大正期、津雪はほかの彫金師と競り合いながら、技巧を凝らした美術工芸としての作品を多数生み出しました。
多くは花鳥をモチーフとした香合・香炉で、素材は純銀・銀900・唐銅などがあります。
書付のある共箱が付属することも多く、箱がある場合はお品物の状態の良さ・お品物の大きさとともにお買取り査定でプラスとなります。
ご自宅やご実家のお片付け、蔵や倉庫の整理などをされて、ご売却をお考えの津雪の作品をお持ちでしたら、ぜひ、いわの美術にお任せくださいませ。
専門知識の豊富な査定員が、お品物を丁寧に拝見し、市場を鑑みた最高値にてお買取りできますよう尽力しております。
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