写真のお品物は攀桂堂(はんけいどう)製 14世藤野雲平による「 筆龍 山馬毫太筆」です。
創業400年を誇る老舗の攀桂堂は日本古来の紙巻筆の制作技術を伝承する唯一の筆工であり、
先代の14世藤野雲平氏は昭和41年に県指定無形文化財の認定を受けています。
攀桂堂は元和年間の1615年に初代雲平が大坂夏の陣で戦乱が終息したことを契機に彦根から京へ上京し、現在の京都市中京区で店を構えたことが起源となっています。
以来代々の当主は雲平(うんぺい)を名乗り、古代の手法を受け継いだ巻き筆の雲平筆を作り続け、京都御所の御用達となり、書道家元の有栖川宮家へも献上してきました。
攀桂堂の号は五世雲平の時代である正徳年間に、当時の関白であった近衛豫樂院家熈(よらくいんいえひろ)公より賜りました。
近衛家熈公は博学多才で詩歌や茶道、華道にも通じ、なかでも書道は当代一流と評される腕前でした。
明治20年に有栖川宮熾仁(たるひと)親王より、長さ二尺九寸、差し渡し三寸八分の斬新な太筆の注文を受けこれを製作するなど、技術の高さは居並ぶ筆工のなかでも随一だったと言えます。
江戸時代を通じて京都に根付いていた攀桂堂は明治42年に東京に拠点を移し、松方正義、大倉喜八郎、書家の比田井天来・小琴夫妻、岡山高陰などの名士を顧客にしました。
しかし関東大震災で罹災し、12世と13世夫人の郷里である現在の滋賀県高島市に移り、現在に至ります。
昭和54年には宮内庁からの依頼を受け正倉院宝物の天平筆の模造品をお納めし、皇室・宮家との関わりが深く続くとともに、現代の書家にむけて伝統の雲平筆をつくり続けています。
筆の起源は大変古く、獣毛の筆は秦代の始皇帝時代に発明されたと伝えられています。
日本へは大和時代に中国との国交を通して伝来し、その後空海が唐から技法を習得して広めたことが、国内での筆製造の始まりとされています。
当時の筆は奈良の正倉院に天平筆として納められたものが残存し、平安時代にはさらに製筆技術が向上して、以来江戸時代の終焉まで日本古来の紙巻筆が長く重用されました。
巻筆は、芯となる毛に上質の和紙を巻き固め、その周りに毛を植えて麻で締める、手間のかかる独特の技法で作られます。
江戸末期から明治にかけて、より短期間で製作でき墨含みのよい水巻筆の製法が輸入されると、明治以降は紙巻筆に取って代わり主流となりました。
現在では紙巻筆を製作できるのは攀桂堂の藤野雲平のみとなり、千数百年の間日本に続く貴重な伝統を伝承し続けています。
雲平筆には用途や起源となる時代別に上代様筆、小野道風朝臣用筆、
天平筆などの種類があり、写真の筆龍藤巻筆もその一つです。
種類と大きさ、毛の種類でさらに細かく分かれ、今回のお品物では貴重な山馬毛が用いられています。
山馬毛は東南アジアに生息する水鹿の一種の毛で、今日では良質なものは入手困難なため高価となっていることに加え、未使用であったため高い評価でのお買取りとなりました。
天然の動物資源である獣毛を用いる筆は、材料の調達が難しくなると生産が減少することとなり、中古市場でもお取引が盛んに見られます。
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