江戸時代中期の画家、渡辺始興(わたなべしこう/もとおき)は、作品により大和絵・狩野派・琳派の多岐に渡る画風を使い分けていました。
あらゆる古画を研究し、とくに琳派様式の作品、写実的な花鳥画で佳作を残しています。
18世紀前半から半ばにかけて京都で活躍し、のちの京都画壇に君臨する円山応挙らに写生画の道筋を作った立役者でもあります。
1683年に京都で生まれ、1708年頃から画家として京都の上流貴族の家に出入りし、東宮御所、近衛家、二条家に仕えました。
師については研究途上ですが、鶴沢探山と山本素軒の可能性が検討されています。
これは鶴澤探索が渡辺始興の障壁画の輔作を担ったこと、探索の祖父の鶴澤探山は元禄年間に東山天皇の勅書で上洛し、京都で活躍していたことから考えられています。
鶴澤探山は狩野探幽最晩年の弟子の一人で、江戸狩野に分類される絵師でした。
鶴澤派は狩野派から分派した絵師集団であり、探索の代に天命大火後の御所再建の障壁画の大事業を担い、その後大和絵の代表・土佐家に並ぶ家格となります。
もう一方の山本素軒説は、素信が渡辺始興と同一人物という説に由来しています。
山本素軒もまた狩野派の画家で、尾形光琳の師となり、渡辺始興と琳派のつながりの発端とも予測されます。
渡辺始興は若い時期の研鑽の後、絵師として独立後もさらなる画術の探求のため尾形光琳にも師事しました。
渡辺始興は一般的には琳派に分類されることが多いものの、狩野探幽以降の江戸狩野の影響が色濃く見られます。
とくに写実描写に定評があり、これには最大の庇護者となった近衞家熈(このえ いえひろ)の影響が大きかったものと考えられています。
近衛家熈について
近衞家熈は五摂家筆頭近衛家の当主である上流貴族にして、当代随一の能書家でもありました。
父の基熈もまた上代様の和歌と書を嗜み、父からの影響で古筆耽溺した近衞家熈も博学多識の文化人となり、多くの絵師を庇護します。
近衞家熈遺した書画と表具は、和様・唐様・今様を織り交ぜながら、落ち着いた風雅な気品を称えています。
近衞家熈みずから絵も描き、「花木真寫」というボタニカルアートの先駆とも言える植物写実画の作品集を残しており、日本絵画を写実主義の黎明期に導いた一人となりました。
渡辺始興は鶴沢探山または山本素軒に師事して絵を学んだとされていますが、その後晩年の尾形光琳にも師事しました。
琳派から構成感覚や、草花の意匠化などを吸収し昇華したため、渡辺始興の代表作には琳派の様式が見られます。
琳派の装飾性は写実描写にも活かされ、艶やかな色彩で描く渡辺始興の画風は、後代の画家にも影響を与えます。
円山応挙が「鳥類真写図巻」を模写をしたことは有名で、また「芭蕉竹に仔犬図屏風」に見られる動植物は応挙の画法と共通する部分が多く、渡辺始興の作品が影響力を持っていたことが伺えるでしょう。
渡辺始興の没後、京都画壇では応挙に始まる円山派や伊藤若冲など、18世紀の京都に花開く個性的な絵師が台頭する時代となりました。
渡辺始興はその萌芽となり先駆であったと考えられています。
渡辺始興は円山応挙にも影響を与えた江戸期の画家であり、優れた作品を残しています。
代表作である京都大覚寺の障壁画重要文化財となっており、また「草花図屏風」は、アメリカのワシントンでアジアの古美術を展示しているフーリア美術館に収蔵されています。
現存する作品は障壁画・絵巻のほかは屏風絵・軸装され掛け軸となっている絹本肉筆の日本画が主流です。
いずれも近衛家の臣としての王朝的な華やかさを称える描写と、写実を共存させ、狩野派・大和絵・琳派それぞれの特徴を並存させる妙技を見せました。
渡辺始興のような古い時代の作品は、ご自宅やご実家のお片付けの際に蔵や倉庫から発見されることが多くあります。
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