写真のお品物は、いわの美術でお買取しました矢尻です。
鏃とも書き、先史時代からの長い歴史の中で、弓の先端に付け狩猟・戦闘から儀式にまで用いられました。
今回のお品物は江戸時代と伝えられ、矢尻のうち平根(ひらね)・柳葉(やないば)という種類でした。
平根には透かし紋が入り薄い刃となり、柳葉は貫通力に秀で、いずれも狩猟用に作られたと考えられます。
弓は狩猟および古代から近世の戦闘で国を問わず用いられてきた原始的な武具でありながら、刀剣や鉄砲が登場しても活躍の場を失わずに在り続けました。
弓術における矢は、棒状の篦(の)の先端に矢尻をつけて用います。
弓道の稽古用には「的矢」、戦闘など実践で用いられるのは「 征矢(せいや)」と種類が異なり、今回のお品物を含む矢尻は征矢のものとなります。
刀剣が刀工によって専門的に作られるように、矢尻は鏃工の手で作り出されていました。
戦国時代から江戸初期の戦乱期には工房制作で効率的に大量生産され、刀剣に比べ消耗品の側面が強いものの、中には銘切師によって銘を入れられた品もあります。
また鏃工だけでなく刀工によっても作られ、江戸時代に大成する弓では鏃制作の上手な刀工の名が流派の書に記されています。
「天国」、「豊後行平」、「五郎正宗」、「江義弘」、「佐伯則重」、「一文字則宗」などの名工が挙げられ、一種のブランドとしての後世の鏃工や刀工が写し物を作り、現在の骨董市場にも散見されます。
矢尻は形態から使用目的を、射切る・射通す・射中てる・射砕くの4つに分類できます。
今回の透かし紋の平根は射切る用途があり、他に同じ用途の矢尻には刺叉に似た形状の雁股(かりまた)があり、江戸中期以降の平和な時代では狩猟用または観賞用に作られました。
どちらも骨董武具として中古市場でたびたび見かけるお品です。
柳葉は射通す用途の尖矢に分類され、古墳時代から多くの戦場で使用されました。
柳葉より細く小さいものは槙葉(まきのは)と呼ばれ、他に鉄砲の弾に似た椎形(しいなり)、龍舌(りゅうぜつ)、鎧通(よろいとおし)、西洋の剣にも似た十文字などがあります。
そのほか刺した矢を抜けにくくする腸抉(わたくり)部の張り出した種類には、飛燕(ひえん)、などがあります。
平安時代に武家が起り、続く鎌倉時代から室町、江戸まで活躍した武士のなかには、矢尻の好みがあり同じ形を愛用した武将がありました。
桜の透かし紋は織田信長が愛用し「織田形(おだなり)」の呼称も生まれ、また豊臣秀次は雁股を好み千枚打たせたことから「千枚雁股」が有名となりました。
それより古い鎌倉時代には、源義経が龍舌・平雁股・鎧通しを、八幡太郎義家は定角・剣先・椎形を、梶原景時は龍舌・飛燕を、それぞれ愛用したことが栗原信充の『「弓箭図式」(きゅうせんずしき)』に伝えられています。
後の代ではこれら武将愛用の矢尻を模して観賞用に作った例もあり、現在の骨董市場でみられる矢尻は、室町末期から江戸時代にかけての品物です。
江戸時代までに作られた矢尻は骨董市場に流通し、武具を好む蒐集家に求められています。
骨董品の矢尻は経年により錆が生じている場合がほとんどで、今回のお品物もそうでした。
しかし矢尻をご売却の際に綺麗にしようと、ご自分で錆を落とそうと磨くと品物を痛める場合がございます。
鋭利さが魅力であった矢尻は磨くと角が落ちてしまい、もとに戻すには刀剣のように研磨に出す必要がでてきます。
そのため、ご自宅やご実家をお片付けされたり、蔵や倉庫の整理などで発見された矢尻をご売却の際には、そのままお出し頂くことを推奨いたします。
いわの美術では美術品・骨董品を中心に幅広くお買取を行なっております。
江戸時代までの矢尻をはじめ、刀剣・甲冑・弓道のお道具まで幅広く多数のお買取実績がございます。
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