陶芸家、林恭助(はやし きょうすけ)は、幻の茶碗である曜変天目の再現に成功し、作品の美しさのみならず陶磁史にとって重要な偉業を成し遂げています。
曜変天目の黒釉に浮かび上がる星のような斑紋は、窯変で出現する偶然のもので、焼成には突出した技術を必要とします。
足利義政や徳川家康ら名だたる権力者たちを魅了した曜変天目は、日本にのみ3点現存しすべて国宝に指定されています。
林恭助は800年間誰も成功しなかった曜変天目の焼成を現代に蘇らせた功労者であり、世界で非常に高く評価されている作家です。
古来中国で茶葉の産地であった天目山で起こったことに由来し、天目釉という鉄釉をかけて焼成される黒磁を指します。
曜変のない素朴な黒磁の天目茶碗は3000年前の周王朝時代に発生し、本格的な生産は4世紀の東晋期からと言われています。
黒磁は白磁や青磁にくらべ焼成条件を選ばず焼成しやすかったため、日用陶器として多く作られました。
南宋の頃に白茶が流行すると、鉄釉で絵付けした茶碗が茶人のあいだで流行し、曜変天目もこの頃初めて作られたとされています。
首都に近かった福建省の建窯で曜変天目が焼かれたとされていますが、古窯址はまだ判然としないまま研究途上となっています。
発祥の地でありながら中国国内に曜変天目が現存しない理由としては、南宋から現代に至るまでの王朝と支配民族の度重なる交代、前時代の遺物の否定や戦災を避けて通れなかった事と、当時の中国の価値観では曜変天目が特別尊ばれなかったことが考えれています。
仏僧の交流を通して日本に渡った曜変天目が、戦乱をくぐりぬけ国宝となるまで保全されたことは大きな財産と言えるでしょう。
近年、中国でも浙江省杭州で曜変天目に準ずる陶片の出土があり、また日本と同様に作陶家による再現が試みられています。
天目山はお茶と茶碗のみならず、中国禅宗の中心地でもありました。
宋代に天目茶碗の生産がピークとなった頃、鎌倉時代の日本では禅宗が流行し、禅僧が天目山へ留学し喫茶の習慣とともに天目茶碗を日本へ持ち帰りました。
天目茶碗の名称は、中国の天目山に由来して日本で名付けられたもので、茶を引き立てるとして重用されます。
当時はまだ抹茶の茶の湯は成立しておらず、現代の煎茶や中国茶に近いお茶を茶寄合などの席で嗜みました。
なかでも鼈口(すっぽんぐち)という口縁に段のある構造となったものがお茶の保温に良いと好まれ、日本での「天目茶碗」はこの形を基本に広まりました。
・口造りの鼈口
・器の形は漏斗状
・口台は低く釉薬がない
天目茶碗は上記の形を基本として、様々な種類があります。
曜変天目ほど瑠璃色の斑紋ではないものの、水面に浮く油の滴のような紋が美しい油滴(ゆてき)天目や、鼈甲のような輝きをもつ玳玻(たいひ)天目、禾目(のぎめ)天目、灰被(はいかつぎ)天目などが挙げられます。
その中で最上級とされたものが曜変天目で、東山時代には日本に10個の曜変天目があった記録が残されています。
とくに足利義政から織田信長に渡ったものは一級品とされ、織田信長が茶席で愛用し常に持ち歩いたとされるほどでした。しかし、そのため本能寺の変で焼失したと言われています。
中国では欠損のない完全な状態の曜変天目は現存せず、世界中で日本にのみ3点の伝世品が確認されています。
漆黒の陶肌の見込みに、満点の星空のように瑠璃色の班紋がかがやく曜変天目は、光の角度によって青、紫、銀など玉虫模様に変化します。
類い稀な美しさは無作為のもので焼成が難しいこともあってさらに尊ばれ、技法の途絶えた800年のあいだ多くの陶工が研究し、再現を試みてきました。
陶芸家であり陶磁器研究家の小山富士夫もその一人で、天目茶碗に関する著作をのこしています。
林恭助によって成し遂げられた曜変天目の再現は、数々の先人が成し得なかったものであり、歴史的な快挙でした。
1963年に岐阜県土岐市で生まれた林恭助は、美濃焼伝統の地で陶芸を志し、23歳で土岐市立陶磁器試験場の研修生となりました。
修了を待たず在学中からデザインコンペで入賞するなど作陶の才能を発揮し、人間国宝の加藤考造に師事します。
独立後は黄瀬戸を中心に作陶、数々の賞を受賞し順調に活動しますが、ある時曜変天目に関心を持ちます。
技法の文献資料もなく実物を手に取る機会もないなかで、曜変天目の故郷である中国の健窯から陶土を取り寄せ、釉薬の調合や焼成とともに試行錯誤を重ね、ついに悲願を成就させます。
2002年に一度焼成した黒磁を二度焼きする手法で曜変天目の再現に成功し、作品の班紋は国宝となっている3点の曜変天目に非常に近く、高い精度での再現となりました。
この成功は瞬く間に国内外で話題となり、林恭助はさらなる活躍に踏み出します。
2004年英国ロンドン大学のパーシヴァル・デイヴィッド中国美術財団にて曜変天目を発表し、同財団美術館(現在は大英美術館)とヴィクトリア&アルバート美術館に収蔵されます。
2007年には中国北京の国立中国美術館でも展示され、その後同美術館と北京の中国故宮博物院にも収蔵される快挙となりました。
とくに故宮博物院への収蔵は中国の人間国宝級作家でも選出が難しいとされ、日本および世界の陶芸史に残る偉業と言えるでしょう。
日本でも活躍が大いに評価され、2013年に土岐市無形文化財「黄瀬戸」保持者の認定を受け、2016年には芸術選奨文部科学大臣賞を受賞しました。
黄瀬戸の分野でも国際的に活躍し、イタリアファエンツァ国際大陶芸美術館に黄瀬戸壺が、
台湾嘉義市立博物館に黄瀬戸茶碗が収蔵されています。
現在は百貨店等で個展を開催しながら活躍を続けられ、将来は人間国宝となるのではないかとの呼び声も高くなっています。
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