こちらは創造と破壊を繰り返し変わり続けた日本画家・速水御舟による『夜ざくら』の300枚限定 木版画です。
日本画の伝統と西洋の写実を融合させており、色味を極力控えながらも繊細な濃淡が桜のピンクを美しく引き立てています。
速水御舟は子供の頃から絵に興味があり、自宅の襖に描いた群鶏がきっかけとなり松本楓湖の安雅堂画塾に入塾しています。
宋元古画、大和絵、俵屋宗達、尾形光琳などを模写する一方、同門の仲間と写生散歩しており、これが礎となりました。
僅か16歳で初入選、17歳で宮内省買い上げされるなど、早くから注目される画家となります。
仲間のリーダー的存在であった今村紫紅の影響が大きく、ジャンルに拘らず良いと思ったことは取り入れる、という姿勢を速水御舟も受け継ぎました。
後に紅児会や赤曜会などで共に活動し、日本画にはなかった都会風景を描いています。
今村紫紅の急逝後は京都の山寺にこもり、山里風景を描きました。
27歳で結婚し、この頃洋画家の岸田劉生の影響を受け、それまで日本画にはなかった写実的な静物画を多く残しています。
美術使節として35歳の時にヨーロッパ・エジプトを巡り世界的にも注目を浴びる一方で、日本画のデッサン力の弱さを実感し、逆に墨の世界へ没頭しました。
日本画界を牽引する気鋭の新進画家でしたが40歳の時に腸チフスで急逝。
死後も評価が高まり続け、40年後には『炎舞』『名樹散椿』が国の重要文化財の指定を受けるまで登りつめています。
速水御舟は自分にはとても厳しく努力家であったそうです。
短いサイクルで画風を極めると、それを潔く捨ててまた新たな境地に挑戦するということを繰り返していました。
そのことから同じ画家とは思えない様々なモチーフやテイストの異なる作品を残しています。
また、非常に豪快な人柄でも知られています。
25歳の時に足を切断する事故が起こってしまいますが、その対応が凡人ではありません。
電車と自動車に挟まれとっさの瞬間、「自動車なら頭をやられる、電車なら足だ。」と判断し足を轢かれることを選んだそうです。
しばらくして意識が戻ると、事故により電車の渋滞が起きていたので「足をひかれただけだから電車を動かしてください。お客さんがみんな迷惑するから。」と言い残しまた意識を失いました。
以後義足となりますがそれを笑い飛ばし、画家としては更に意欲的に画風をめまぐるしく変遷させていきました。
自分には厳しい反面、人にはとても優しかったという速水御舟、優しい静かさを感じさせる作品が多いのはその人柄からかもしれません。
他界してから約90年経った今でも人気は衰えず、中古市場でも高い需要がある画家です。
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