甲冑は古代から戦闘時に頭を守る兜・体を守る鎧具として進化を重ねてきました。
ドラマや映画の歴史・時代物がお好きな方の中には、源平の合戦と戦国時代とでは同じ日本の甲冑でも様式が異なることに思い至る方も多いでしょうか。
武具である甲冑の最盛期は戦乱の世となった戦国時代であり、多くの名だたる戦国武将がそれぞれの美意識と信念を映し出す甲冑を身に付け戦いを繰り広げました。
遡って源平の合戦の頃にも武士は甲冑を身に付けて戦っており、文学作品で伝えられる当時の様子は絵巻などにも残されています。
上記2つの時代の甲冑は異なった様式のものです。日本の甲冑の歴史では数回の転換点があり、以下に紐解いていきたいと思います。
1.古代の甲冑
「常陸国風土記」では、日本刀起源の一つとされる蕨手刀とともに甲冑も東日本が発祥の地との記述があり、現在のところ東北起源説が有力です。
奈良県の弥生時代遺跡からは「組合式木甲」と「刳抜式木甲」の一部と考えられる木製部品が出土しており、同時期に朝鮮半島から渡来した武器とともに甲冑が完成したと考えられています。
甲冑は頭部の兜(冑)と胴部の鎧具(甲)から成り、古墳時代には基本形として短甲(たんこう)が完成し、古墳副葬品である人型埴輪に見られるように、金属製の小札を革・鋲でつないだ金属製の短甲が出現します。
短甲は日本列島独自の形式ですが、これに対し大陸からの影響が伺える、小鉄板の小札を紐で脅した挂甲も出現しました。
挂甲は革製の素材と造りから体の動きに馴染み負担が少ないため、高級武人用として発展します。これに対し遣唐使によってさらに簡略な布製の「綿襖甲」がもたらされ、一般兵士用となりました。
奈良時代は現存する当時物が残されておらず不明ですが、古墳時代とは異なる短甲が存在したと推測されています。
2.平安時代、貴族から武家へ
平安時代は唐との国交が途絶え、日本独自の貴族文化が栄えます。
中期以降に武士階級が台頭すると、甲冑は貴族文化で培われた高度な美意識も反映し、独自の進化を遂げ最初の盛期を迎えます。
平安時代の甲冑の様式は堂々たる姿さながらの「大鎧(おおよろい)」と呼ばれ、馬上で弓を射る騎射戦に適応した防御力の高い構造が特徴で、兜も吹返しの大きい形状でした。
大鎧の鎧具の重量は鞍にかかって安定し、剣術より弓矢が主役の戦場で活躍しましたが、次第に騎馬で戦うのは上級武士のみとなり、馬から降りて歩兵で戦う一般兵に合わせ、簡素な「胴丸」や「腹巻」が生まれ発展していきます。
大鎧は上級武士の正装の意味合いを帯びて様式美を極める方向へ進み、源平の時代に最盛期となりました。
後に戦法とともに甲冑の形式が変化してからも、荘厳で勇壮な大鎧は「式正の鎧」との呼び名で尊重され、現在まで残された名品は国宝や重要文化財となっています。
3.鎌倉から室町時代、実戦的な甲冑へ
平安時代後期から引き続き胴丸や腹巻が実戦で重用される武家社会になると、上級武士も大鎧よりも着脱の容易な胴丸を着用し始め、兜・袖・籠手・脛当をつけるようになりました。
白兵戦主体の時代に合わせ進化していき、胴丸では丈が短く体に沿う形となることで鎧具の重量を腰で支えられるようになり、腰から下の草摺りも大鎧時代には4枚であったのが8枚へと細分化し、歩兵に適合した形となります。
鎌倉時代後半になると大鎧は武家の社会的シンボルとして彫金物や金銅の装飾で美術工芸品さながらに彩られるようになり、実用を離れ象徴的な存在となりました。
4.戦国時代、甲冑の最盛期
室町時代後期から安土桃山時代にかけ甲冑は第二の変革期を迎え、戦国時代には「当世具足(とうせいぐそく)」が一般化します。
また鉄砲の伝来は西洋の甲冑も日本にもたらし、影響を受けた西洋風の甲冑は「南蛮具足」と呼ばれ、織田信長などが所持していました。
当世具足には乱世に名を馳せた武将それぞれの意匠が凝らされ、兜の前立は特に特徴があり、武勲とともに広く知られています。
有名なところでは伊達政宗所要の黒漆塗五枚胴具足、徳川家康所用の南蛮胴具足や伊予札黒糸威胴丸具足、などが挙げられます。
また全身の地色を赤で統一した甲冑は赤備えと呼ばれ、この赤には稀少な顔料である辰砂が用いられ、とくに戦歴の高い精鋭部隊が着用したため戦場では殊更恐れられる存在でした。
5.江戸時代、甲冑の終焉へ
江戸時代に入ると大名制・武家社会は維持しながらも、島原の乱の終息後から200年を超える太平の世に突入します。
武士は甲冑を着て戦う機会が無くなり、多くの当世具足は鎧櫃におさめられたままとなりました。
藩のお抱えとなる有名な甲冑師の流派が数種類存在し、それぞれに特色のある技巧を凝らし、戦闘のない平和な世の中において装飾的な甲冑が作られました。
戦国時代から継承した当世具足の他にも、歴史をさかのぼった大鎧、胴丸や腹巻復古調の甲冑も平和な懐古趣味のもと作られましたが、当時物とは様相のことなる珍奇な造形もあったようです。
幕末となると薩長の討幕運動に始まり再び乱世が訪れますが、開国後は急速な近代化が訪れたため日本でも主な戦法は洋式銃や大砲となり、それらに対応できなかった甲冑は実戦で用いられることはなく、歴史の遺物となりました。
甲冑には長い歴史があり、それぞれの時代を反映した名作がありましたが、現在まで残されているのは近代のごく一部となります。
鎌倉時代以前の胴丸・腹巻・大鎧に関しては、運良く残されたものも重要文化財として現存しますが、基本的に幾度にも重なる戦乱の間に消失しており、古美術品として流通することは稀です。
室町時代以降、戦国時代などは比較的現存数はありますが、400余年が経過し近現代に修復を経て残されているケースがあります。
甲冑をご売却される際、お買取り価格が高額となるポイントは以下の通りです。
・時代が古い物。室町~江戸時代。
・等身大
・保存状態が比較的良い物
現代でも映画などのセットとして、端午の節句など家庭での装飾用として、新作の甲冑を作る工房もいくつかありますが、現代物より時代武具のほうが高価買取となります。
また大きさは等身大ほど価値が高く、威し糸や漆塗、金工や鉄地の錆の有無など状態もお買取り価格の決め手となってまいります。
遠く近世以前の合戦で武人とともに活躍した甲冑は、泰平の時代から近代化を経て古美術品としての側面を強めてきました。
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