三代村瀬治兵衛は木地師であり塗師である数少ない漆工芸家です。
木地師とは木からものを形作る職業で、塗師とはその木地に漆を塗る職業の事ですが、現代では殆ど分業になっています。祖父の初代治兵衛が北大路魯山人との親交を通じて、塗まで一貫して行う現在のスタイルとなりました。茶器を中心に作品を制作し、現代的エッセンスを加味した独自の作風を確立しています。
木地師と塗師という両方の技を駆使する制作スタイルは、名古屋で江戸時代から続く木地師の家に生まれた祖父の初代村瀬治兵衛に遡ります。
初代は向こうが透けて見えるほどの極薄挽きを得意としていた木地職人でしたが、素地まででは満足せず木地に塗りを施し、漆器としての完成品を目指していた頃に北大路魯山人と出会いました。彼はたびたび仕事場を訪れては轆轤を挽く初代のすぐそばに立って細かく指導したといい、その結果ざんぐりとした“はつり”を生かすこと、薄挽きの中に大胆さがある作風が作られました。その後初代は木地師と塗師の両方の仕事を手掛けるようになったのです。
初代の息子である二代村瀬治兵衛も転機となった出会いがありました。大徳寺の第511世住持だった立花大亀老師です。「侘びとは詫びるということ」とは老師の言葉で、道具が地味である事が侘びではなく、使う人の心持ちであるという考えを持ち、彼を囲む数寄者や料亭主人、政財界人との交流から二代目は洗礼された茶道具を作るようになりました。
三代村瀬治兵衛は、仕事を始めてから20年間は古典を写す仕事を手掛け、日本の形を自分のものにしていきました。2001(平成13)年に三代を襲名してからは自分の形を作り出すことを始め、陶磁器研究家の林屋晴三との出会いが大きな転機となります。
彼は「流儀を問わず、今を問う」という考えを持って制作するようにと愛用の茶碗を三代に預けて、それに取り合わせる道具を指導することもありました。それにより「ハツリ」や「鉈削り」といったシリーズが生まれることになるのです。
多くの茶人が訪れる家に育った三代村瀬治兵衛にとって、お茶は暮らしの中に普通にあるもので、お茶の魅力を知ってもらい工芸にも興味を持ってもらえたらとの想いから「嘉門工藝」という茶道具の企画・制作・販売を手掛ける会社も立ち上げました。
自宅では現代作家の作品を中心に茶会を行い、自身も楽しみながら「今を生きる、新たな形」へ挑戦し続けています。
漆芸とは漆の木から出る樹液を器の表面に塗り、模様を描いて作品を作る技術のことです。漆は固まると水を弾き腐らない被膜を作るので、椀や箸、重箱など昔から生活の道具に用いられてきました。また生活用品のほか、茶道具や文箱など美しい作品も多く生み出されています。
青貝の殻の内側にある輝いた部分を薄く切り、漆器などの表面にはめこんで装飾する螺鈿や、器の表面に細い筆を使って漆で絵を描き、固まらないうちに上から金の粉を蒔きつけて模様をあしらう蒔絵などは1000年以上も前から行われている伝統的な技法でもあります。
今回画像で使用しているのは根来塗の棗という茶道具で、主に薄茶を入れる木製の漆器です。古い朱漆器は表面が摩擦して下地に塗られた黒漆が所々露出して模様のように見えることが多いのですが、根来塗はそれを人為的に再現し、デザインとして見せているのが特徴と言えるでしょう。
漆器について詳しく書かれた過去記事もございますので、興味のある方はぜひこちらもご覧ください。
【骨董品買取の豆知識】どんな漆器が高価買取される?漆器の素材や塗料の違い
いわの美術では三代村瀬治兵衛の作品をお買取りしております。
天然素材か、箱はあるか、キズやカケの有無などお品物の状態によって査定額が変わる場合がございます。
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三代村瀬治兵衛のほか、髹漆の技法を基本とし、桧物師の輪積みを取り入れた「曲輪造り」の技法によって独自の作風を確立した赤地友哉、革新的な技術を用いて新たな蒔絵の表現方法を開拓した寺井直次、素材の特徴を活かした螺鈿細工が特徴で、漆工品修理の選定保存技術保持者としても精力的に活動する北村昭斎など、記事でご紹介させて頂いた作家以外の作品もお買取りさせて頂いております。
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