いわの美術でお買取りの藤田嗣治『二人の少女』2008年まで落札額が最も高額な日本人アーティストであり続けた藤田嗣治によるHC版リトグラフです。 今回ご売却された作品は、藤田嗣治が最終的に日本国籍を捨てフランスで過ごした頃に描かれました。 自分が先立っても妻の君代が経済的に困らないようにと描き貯めた作品の一つであり、キミヨ・コレクションと呼ばれています。 |
1886年に医者の家に生まれた藤田嗣治は幼い頃から絵を好み高校卒業後フランス留学を希望しますが、父親の上司であった森鴎外の勧めもあり、まずは東京美術学校 西洋画科に進みました。
しかし当時の西洋画の第一人者であった黒田清輝には評価されず、公費での留学はあきらめ、1913年 妻・登美子を置いて単身でパリに渡航します。
藤田嗣治本人はパリに到着して翌日にはパブロ・ピカソのワークショップに招待されたと言っていましたが、実際には6ヶ月かかったようです。
同じくパリに滞在していた川島理一郎と共同で家を獲得して生活が整うと、1914年 第一次世界大戦が勃発し家は破壊され土地も没収となりホームレスとなりました。
川島理一郎は絶望して帰国、藤田嗣治はロンドンに移動し絵画修復の仕事や、仕立て屋での裁縫もこなしました。
その服を作る仕事に関わったことにより、独特のファッションによるキャラの確立が重要であることに気づきます。
異国情緒の『ダンディ侍』をコンセプトに固め、自家製の着物、大きな木のビーズのネックレス、耳のイヤリング、まん丸メガネ、ユニークな口ひげ、腕時計をつけているようなタトゥーなど細部にまでこだわりを見せ、自身をブランド化しこれは成功に繋がりました。
戦争が終息に向かう1917年、藤田嗣治はカフェでフランス人モデルのフェルナンド・バレエと出会い、自分で縫製したコルセットをプレゼントすることにより親密になり僅か2週間で結婚します。
フランス人の妻は積極的に夫を売り込み、この頃から画家として売れ始め、急速に人気になりました。
藤田嗣治の代名詞とも言える乳白色の肌もこの頃に生まれています。
裸婦を描くことになったきっかけは、藤田嗣治はある日突然、日本の絵画にヌード(全裸)がほとんど存在せず、浮世絵の春画でさえ肌の一部が見えている程度であることに気づいたからです。
そこで最も美しい素材である人間の肌を描くことを決心し試行錯誤を重ねます。
裸婦の描写を目的として開発した乳白色の釉薬は藤田嗣治の『乳白色の肌』を生み出し称賛され一気にパリでの知名度を上げました。
釉薬の調合は長い間秘密にされ人々の好奇心をそそり、その美しい真珠の色調から本物の真珠貝が含まれていると噂された程です。
二度目の結婚で売れ始めた藤田嗣治の絵は1917年で6~7フランでした。
1922年に知人キキが裸で横たわる作品『寝室の裸婦キキ(Nu couché à la toile de Jouy)』を発表すると、パリのサロンでセンセーションを巻き起こし、8000フラン(現在の金の価値で換算すると約160万円)で買取られました。
その絵画は2013年に約120万ドル(約1.2億円)で落札されています。
画家として売れると二番目の妻との関係が変化し破局、次に結婚したリュシー・バドゥを『お雪』と名付け10年間 藤田嗣治のモデル兼ミューズとなりました。
この頃からまるで磁器のように透明感のある『乳白色の肌』が究極に極められ、フランスでは知らない人がいない程の人気となります。
そして藤田嗣治は新しいモチーフ、猫に魅了されました。
『神が神秘的な女性の本質をよりよく理解するために男性に猫を与えた』と信じ、浮世絵師の歌川国芳と同じように猫を抱えて描いていたそうです。
1930年にNYで発行された20枚の猫のエッチング作品を載せた『Book of Cats』は、2014年に世界で最も高額な500冊の本に選ばれています。
藤田嗣治が三番目の妻と破局した1931年、世界恐慌の影響がフランスにも現れます。
不景気で絵が売れなくなった上に、行政による芸術家迫害が始まり、藤田嗣治も脱税したとのことから天文学的な追徴課税を請求されました。
藤田嗣治は四番目の妻マドレーヌと共に北南米諸国へ渡り、南アメリカで開催した個展は大成功を収めます。
続いてマドレーヌと一緒に日本に帰国し滞在、藤田嗣治はカフェのウエイトレス・君代に一目惚れし愛人にしました。
ドロドロの愛憎劇は1年後にマドレーヌが薬物過剰摂取により突然亡くなることで終止符が打たれ、君代は五番目の妻となり今度は生涯連れ添うこととなります。
夫婦でパリへ戻りますが第二次世界大戦の勃発により日本に帰国を余儀なくされ、陸軍美術協会理事長に就任し日本の軍事的勝利を謳った戦争画も制作しました。
このことが終戦後に非難され、戦争協力者として激しく糾弾される日々に嫌気がさして1949年日本を永久に離れます。
フランス国籍を取得し、女性や猫の他、少女の絵が特に多く制作されています。
少女にモデルは存在せず空想で描かれた物であり、自身の心を表現したかったのかもしれません。
晩年は君代夫人の為に絵を描きため、その頃の作品は君代夫人コレクションと呼ばれ、今回いわの美術でご売却いただいた『二人の少女』もこの頃の作品となります。
いわの美術では藤田嗣治の油彩画、水彩画、リトグラフ、エッチングなどの作品を買取強化中です。
藤田嗣治の作品は元々高額だったのですが、近年更に作品価値が上がりました。
それは中国の投資家の影響が大きいと言われており、今後の世界の経済状況によって価格が変動するのではないでしょうか。
肉筆画の場合は藤田嗣治の独特の技法は絵にヒビが入りやすく、一般家庭では保管が難しいので、倉庫に眠っているだけの場合は破損が進行する前にご売却されることをお勧めします。
リトグラフやエッチングは複製なども多く出回っておりますので、サインとシリアル番号の有無が重要ポイントです。
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