こちらの浮世絵は三代歌川豊国による『江戸ノ富士十景之内 日本橋』です。
1854年~1855年に制作された、富士山が見える江戸の名所10選のうちの一つとなります。
美しい富士を背景に美人が描かれており、ボストン美術館蔵にもなっている貴重な浮世絵です。
三代歌川豊国は19世紀で最も成功した浮世絵師であり、その当時の人気は同世代であった広重、国芳をはるかに上回っていたと言われています。
三代 歌川豊国は多くの号を使用しており、現在は『歌川国貞』が最も定着しています。
歌川国貞は1786年に江戸で生まれています。
父親は翌年に亡くなっていますが、材木問屋であった家は経済的には安定していたようです。
成長するにつれ絵の才能が現れ、絵を見た歌川豊国(初代)に感銘を与え15~6歳でその門下生として受け入れられました。
現在知られている最初の作品は1807年(22歳)頃であり、急速に人気となり2年後には挿絵では師匠と同等の扱いを受け、1813年頃には浮世絵最高峰の一人となります。
最多数の作品を残した浮世絵師としても有名で、約14500のデザインを制作しており、3枚で1組の作品などを個別で数えると22500を超えるという並外れたデザイン数です。
モチーフは約60%が歌舞伎の役者絵、約15%が美人画を描いていました。
相撲力士の肖像や源氏物語の絵など、歌川国貞自身の割合としては少ないのですがそもそも作品数が圧倒的であったので、長い間市場を独占しています。
他に春画も手掛け、検閲が厳しかった関係から『又平』の号を記載していたようです。
幕末のめまぐるしく変わる流行にいち早く対応し、1865年に亡くなるまで広重、国吉と共に三大浮世絵師として君臨し続けました。
歌川国貞の死後、国貞・広重・国芳は、古典的な浮世絵から劣っているとして酷評され、欧米のコレクターからの評価が急落しました。
1930年~1970年代に広重・国芳は評価が回復しましたが、歌川国貞は1990年代になってやっと認められ始めています。
現在は広重・国芳よりやや遅れは取っているものの、国内外の中古市場で高い需要です。
富士が見える江戸景色の10選、現在10枚全ての浮世絵が現存しています。
日本橋 するが甼(するが町)(駿河町) 两國(両国)
洲崎 永代 向ふ嶌(向島) つくだ
万年ばし あづま橋 御茶の水
両国のみが1855年(安政2年)の作品で、他は全て1854年(嘉永7年 / 安政1年)の制作です。
ボストン美術館蔵は『日本橋』と『万年ばし』となります。
全て富士景色を背景に美人がメインで描かれており、面長で猫背、首はやや太く短めが歌川国貞の作風です。
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歌川国貞は多くの号を使用しており、以下は全て歌川国貞となります。
二代歌川豊国 三代歌川豊国 五渡亭 香蝶楼国貞 一陽斎 一雄斎
琴雷舎 北梅戸 富望山人 富望庵 桃樹園 応好 月波楼
喜翁 国貞舎豊国 雛獅豊国 浮世又平 不器用又平 又平
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