文字通り古い時代の地図である古地図には、現代のコンピュータ化された地図にはない不思議な魅力があります。
古地図に描き込まれている情報、それがつくられ、使われていた時代背景、そして美術品として鑑賞にも耐える美しさなど、その趣味でない人でさえ、ときに見入ってしまいます。また、資料的価値の高い古地図には、地理的情報だけでなく、歴史的情報をも提供する貴重な資料としての意味合いも兼ね備えています。
最も古い世界地図として知られているものには、紀元前600年頃のバビロニアの世界地図があります。そして、紀元前3世紀には、エラトステネスが地球が球形であることを前提に地図を作っており、地図作成に測量を利用したことが知られています。
日本の地図の歴史
751年(天平勝宝3年)…現存最古の地図が作成される。
日本で最初に作成された地図として記録が残っているものは、大化の改新の645年に田図(でんず)と呼ばれる田や国有地を記したものであると伝わっていますが、実物は残されていません。 現存する最も古い地図が751年の「東大寺領近江国水沼村墾田図」という地籍図です。測量など必ずしも正確ではありませんが、これ以後の村地図に大きな影響を与えました。
1305年(嘉元3年)…現存最古の日本地図が作成される。
これは、古式の日本地図とされる行基図(ぎょうきず)というものです。現存する最古のものとされるのが鎌倉時代の嘉元3年(1305年)の銘がある京都仁和寺所蔵のものと同年に他の所有者の地図から転写されたと推定されている神奈川県の金沢文庫所蔵のものといわれています。
中世から江戸時代中期に伊能忠敬が現われる前の日本地図はこの行基図を元にしてつくられたとされています。
1604年(慶長9年)…徳川幕府が「国絵図」の作成を命じる。
江戸幕府が徴税その他の治政上の必要から、主要大名に命じて作らせた旧国単位の行政用地図を「国絵図(くにえず)」といいます。徳川幕府は,慶長 10 (1605) 年、正保1 (44) 年、元禄 10 (97) 年、天保6 (1835) 年の4回にわたって国絵図の作成事業を行いました。
1821年(文政4年)…伊能忠敬が「大日本沿海輿地全図」を江戸幕府に上呈。
江戸時代になると、西洋からもたらされた天文学と測量技術が、地図の発展に大きく役立ちます。そこで登場したのが、日本地図界のヒーローといわれる伊能忠敬です。
伊能忠敬は、50歳になってから天文学と測量学の勉強をし、日本中を歩いて周り17年間かけて 日本で最初の実測日本地図「大日本沿海輿地全図」(伊能図)を作成しました。
1867年(慶応3年)…勝海舟「大日本国沿海略図」を刊行。
伊能忠敬の伊能図の写しを元にした「日本と朝鮮近傍の沿海図」が1863年にイギリスで刊行されました。これを日本に逆輸入し、勝海舟の手により、1867年に「大日本国沿海略図」として木版刊行されました。
古地図をたよりに、江戸時代の大名屋敷の配置を調べたり、現代の街並みを歩いてみる、というのは、近年ちょっとしたブームとなっているようです。
古地図には、 文字にすれば多数の紙面を要する情報が一枚の紙に納まっており、例えば、東京大学の敷地はかつて加賀藩のお屋敷であったことや、南北の天地が逆に記されていること、北海道の描き方など、時代時代の考え方が古地図にはおのずと反映され、時代の意識を知る手がかりとなります。
また、古地図には美術品的な価値の高い品も少なくありません。「江戸切絵図」などは、浮世絵の手法を用いた多色刷りで、その美しさはまさに芸術品ともいえます。
古地図・買取~ 古地図の売却や、研究資料の整理の際には是非いわの美術までご相談ください。
江戸の手彩色地図、木版地図
戦前の日本各地の市街地図
東京府時代の地図
戦時中の満洲、台湾、朝鮮の地図など
「古くて、汚れた紙だから」と思われるものも、歴史資料としての価値があるかもしれません。処分される前に、目利きの査定士が常籍するいわの美術にご連絡ください。