山口萩焼の開祖の孫であり、山口県指定 無形文化財萩焼保持者でもある大和保男による萩焼をお買取りいたしました。
白釉に入った大きな貫入と、その下に見える色彩の濃淡が美しい萩茶碗です。
大和保男の祖父にあたる大和作太郎 (雅号・大和松緑) は、萩焼の御用窯の職長を務めていたところ、明治維新の変革により山口市に招かれる形で『松緑窯』を築窯しました。
地元の土を組み合わせることにより、「ホタル」や「ホシ」と呼ばれる、紅色のまだらもようを作り出すことに成功しています。
その次男である大和春信が『春信松緑窯』として引き継ぎ、1933年に生まれた大和保男はさらにその次男です。
第二次世界大戦の影響で窯の職人が召集され人手が足りなくなった頃、小学4年生であった大和保男も家の仕事を手伝います。
中学生の時にすでに一人前の職人となり、1日に湯呑300個も作っていたこともあるそうです。
戦後復興期であった1951年18歳の時から2年間、京都の東福寺に住み込み、陶芸家や画家などの芸術家と交流を深め独自のセンスを磨き、『塩釉 (しおくすり)』を使って赤茶色になる新しい技法を生み出しました。
1959年26歳で日展に初入選、以後多数の受賞を果たします。
日本伝統工芸展に初入選した1975年頃から塩釉で箔を圧したような表現の『炎箔 (えんぱく)』という技法を編み出しました。
中でも『炎箔陶筥 (えんぱくとうばこ)』は高い評価を受け、アメリカ・グリーブランド美術館、山口県立美術館、イギリス大英博物館に収蔵されています。
萩焼では誰も成し遂げていなかった大規模な陶壁を1984年に完成させ、更に30面以上に及ぶ陶壁を制作しました。
そして日本工芸会山口支部幹事長、山口県立大学大学院の非常勤講師に就任するなど、若手の育成にも力を入れ、2000年にはフランスで「萩焼400年パリ展」を開催するなど国際交流にも積極的です。
近年では長男で萩焼作家の大和猛のサポートを受けながら、コロナ禍の2020年には作家人生70周年を記念し、萩焼窯元としては初となるオンライン個展を開催しました。
「この時期多くの皆様方に、多様な表現を示す自作を知ってもらうことは、改めて次への挑戦に繋がる」と語っており、84歳という年齢を感じさせない情熱と探究心で意欲的に活動しています。
400年を超える伝統がある萩焼は変遷を繰り返し、現在の萩焼のイメージは近代の萩焼陶芸家のものです。
十一代三輪休雪(1910~2012年)の『鬼萩』など当時はとても先駆的でしたが今は萩焼の代表格として定着しています。
現在の陶芸家の跡継ぎは大学に行って萩焼以外の陶芸や芸術を学ぶことが多くなり、通信と流通の発達により情報収集や意見交換が簡単にできるようになり、ネットで世界中の土や釉薬を注文できます。
そんな状況で自由に表現してしまうと、萩焼のアイデンティティが失われるジレンマに陥ります。
萩焼らしさとは何か、萩焼もこの情報社会で新たな局面を迎え、大和保男の塩釉や炎箔のようにこれからも新しい表現が生まれるに違いありません。
いわの美術では以下の近代萩焼のお買取りにも力を入れています。
いわの美術では大和保男の萩焼をお買取り強化中です。
ご自宅やご実家の倉庫に眠っている大和保男の作品をお持ちの場合は、次の方に必要とされる方へお渡しするお手伝いをさせて下さい。
お売りになりたい場合は、写真を送信することによりお手軽に無料査定を受けることができる、WEB無料査定又はLINE無料査定のご都合の良い方をご使用いただけます。
作品の他に鑑定書、共箱、写真のような共袋、栞などの付属品をお持ちの場合はプラス査定となりますので、お持ちの場合はお知らせ下さい。
ご不明な点などありましたら、お電話フリーダイヤル(0120-226-590)でも受け付けております。
ご売却はお客様のご納得の場合のみお受けしておりますので、初めてのお客様も安心してご活用下さいませ。
スタッフ一同、お客様からのご連絡を心よりお待ちいたしております。