ご自身の趣味が高じて蒐集を長年続けられてきた方、またはご家族やご親族にそのような方がいらっしゃる場合は、身近にご覧になられてピンと来る方も多いかもしれません。
骨董品とは、一般的に一定の年数が経ち、長きにわたり価値が高水準に保たれている美術品・工芸品を指します。
では一定の年数は如何ほどかと言うと、これも日本を含む東洋美術と西洋美術では異なります。
西洋美術において骨董と同義となるアンティークは、厳密に100年以上が経過した手工芸品・工芸品・美術品という共通認識があり、1934年にアメリカで制定された通称関税法にも明記されました。
この定義は世界貿易機関(WTO)でも採用され、100年以上経過したと証明できる品物についてはWTO加盟国間での取引で関税が免除されます。
また、100年以内の古い物を指す語彙も多く、ヴィンテージは主として20~30年が経過したもの、ジャンクは100年に至らない古いもの、ラビッシュは古いが価値のないもの、として分類されています。
言葉の用法には多少変化があり、時にヴィンテージは100年以上経過したアンティークを含めることもあるようです。
また、フランス語ではジャンクに相当するブロカントという語もあり、近年は日本でもブロカントを扱う洒落た古道具店が増えてきています。
東洋美術における骨董品とは、欧米におけるような細かな分類や厳密な定義はない一方で、
古さに加え希少価値も重要な判断基準となります。
「骨董」の言葉の起源は古く、また当初は価値のあるもの・美術品などの意味は持たず、雑多なもの全般を指していました。
唐宋八大家の一人、蘇軾が記した「仇池筆記」の記述では、骨董は動物の骨を長時間煮込んで作る煮凝り風の羹を指しています。
後代に意味が転じて長く愛玩された古物の意味となり、明代の董其昌による「骨董十三説」において骨董とは、金・玉・書画墨跡・石印・窯器・漆器・琴・剣・鏡・硯など四類十一品を指すと記されてます。
日本においての骨董、古い美術品を収集して楽しむ習慣は室町時代に中国から伝えられたとされています。
足利将軍家では代々、中国の禅宗文化への憧れのもと、明との貿易で茶道具を中心とした美術品・骨董品を入手し秘蔵の品として守り伝えていました。
織田信長は永禄11年に上洛した際、境の商人によって献上された茶器を発端に、中国から輸入される茶道具類を多数集め始め、その勢いから名物狩りとまで呼ばれたと伝えられています。
信長は蒐集のみならず、茶道具類を政治的にも大いに活用し、自ら茶会を催して高価な道具類を披露し、配下の武将に褒賞として授与したため、茶入に一国一城の価値があるともいわれました。
江戸時代初期、骨董という語はまだ玉石混交の意味で用いられ、五目御飯を骨董飯、小物入れを骨董箱などと呼び、骨董はおもにガラクタを指す言葉でした。
茶の湯に用いられた茶道具は高価な家宝として大名家に眠り続け、同時代の工芸品や美術品も同じく富の集中する所に留まっていました。
町人が経済力を持ち始める江戸時代中期に入ると、骨董の語句の用法に昔の人が愛用した道具類という意味が加わり、現在と同様の意味合いが浸透し始めます。
そして江戸後期の文化文政になると中国から煎茶文化が輸入され文人を中心に流行し、次第に庶民にも広まると、抹茶の茶道具とは異なる煎茶道具の収集を皮切りに、骨董蒐集の趣味も町人階級へ拡大していきました。
江戸時代にも茶道具や書画骨董の優れた知識をもつ美術商は居ましたが、基本的には大名家の専属として雇われる身であり、市井の商売とは一線を画します。
庶民に向けた美術関連の商人は書画を扱う書画屋、浮世絵は浮世絵屋、武具や古道具などを扱う道具屋と細かく分かれ、大名家愛蔵品であった美術価値の高い茶道具などは秘密裏でのみ売買されました。
そして時代が変わり幕藩体制から新政府へ移行した明治期になると、大名家は財政難から秘蔵品の放出を始め、寺社も廃仏毀釈により仏像や仏具を安価で売り出します。
この頃から希少な古今の美術品を取り扱う業者が「骨董商・骨董品店」の看板を掲げるようになり、ヨーロッパの美術界でジャポニスムが花開いた時期には輸出で利益を上げた者も居ました。
明治期から大正期に新進の財界人たちが成功を収めると、多くの骨董品が彼らに蒐集され、骨董品店・骨董蒐集家の市場が形成されます。
骨董品店の取り扱う品目は、時代を経るごとに茶道具、仏具および仏教美術から書画、家具、絵画と増えていき、現在に至っています。
上記で骨董品について、骨董品店の歩みについて触れてきましたが、骨董品を売却する際に何がポイントとなるでしょうか。
骨董品の買取価格を決める要素を紐解くと、価格の仕組みが見えてきます。
骨董品は現在生産され流通する商品と異なり、定価が存在しない点で近寄りがたいと感じられるかもしれません。
しかし定価は存在しないものの、骨董商・古物商の間で共有される相場というものがあります。
相場は年代・作者・希少性・状態・付属品によって決まり、現在ではオークション落札価格なども含み、価格が上下します。
骨董商の最も重要な仕事の一つに、品物の真贋を見極める「鑑定」があります。
品物の新旧、作者の制作数の多寡を問わず、贋作が出回る事は少なからずあり、鑑定が困難を極める品物もあるため熟練の鑑識眼を要します。
第一の手がかりに、作者によるサイン、書画では落款、茶道具では花押と呼ばれる署名の役割を果たすものが挙げられます。
作家の知名度に比例して贋作の割合も多く、また落款や花押をソックリに仕上げている可能性もあるため注意が必要です。
鑑定の結果によって数万から数十万まで評価額に幅が生じる場合もあり、確かな鑑定眼を持ち、尚且つ高値での買取をしてくれる業者を選ぶことが重要です。
作家の評価は作品の価値に大いに作用します。
日本の明治以降の近現代美術では帝室技芸員選定者や文化勲章・功労賞受賞者などは分かりやすく、存命中から高い評価を受ける作家も多くあります。
また、一方では没後に美術評論家などにより再評価の機運が高まって相場が上昇する作家もいます。
鑑定士は常に作家の評価の変化を把握し、常に市場に即した正確な鑑定をすることが求められ、真贋の鑑定とともに鑑定士の技術力が問われるポイントです。
作品の希少性は買取価格の重要な決め手となります。
現存作品数の少ない古い時代の作家や、比較的新しい時代でも新たな作品が出回ることのない物故作家は、希少となり高値でお取引される場合があります。
希少性は変動することもあり、蒐集家や作者自身の死去で遺族から大量の売却があるなど、流通量が大幅に増えると取引価格は下落する傾向にあるのです。
市場の変動は予測不可能な部分も多く、美術品の売却を考えたらその時が売り時と言えます。
美術品・工芸品の多くはデリケートな品物であり、経年での錆びや欠け、シミやヤケなどが生じる場合があります。
お買取り時に状態が良いほど買取価格も高価となりますが、傷のある品物でも、ダメージの内容によっては専門技術で修復が可能な場合もあります。
古伊万里など特殊な例では欠けの多い状態であっても、かえって贋作でないことの証明となり歓迎される場合もある事などは、骨董の面白いところです。
また、長年保管されていたお品物は大いに埃を被っている場合がありますが、一見簡単に取れそうな埃だと思えても、衝撃を与えて破壊が進んだり、汚れが刷り込まれてしまうこともございます。
綺麗な状態で査定を受けたいものですが、品物が傷んでしまっては元も子もありませんので、刷毛などで優しく埃を払う程度に留めていただき、そのまま買取業者に見せることをお勧めいたします。
品物の価値に応じた代表的な付属品に保証書と箱があり、保証書は真贋や来歴が記され、箱は品物にぴったりの大きさに設えられます。
保証書は権威ある美術商や公認の鑑定士などにより添付され、江戸以前の古い時代では和紙を二つ折りする保証書が正式な認定を意味し、これが「折り紙つき」という慣用句の語源にもなりました。
箱は付属したタイミングにより種類があります。
作者の自著による花押、署名、題名または品名、落款や印章が蓋などに記された箱は「共箱」と呼ばれ、最も格式高く扱われます。
作者ではなく家元や正式な鑑定家により同様の内容、ならびに品物の来歴について書付けされた箱は「極め箱」と言い、共箱の次に重要視されます。
とくに茶道ではお道具類の由緒正しいことや、家元のお品であることが茶席のみならず蒐集においても重要視される傾向にあります。
共箱・極め箱どちらにも該当しないが作品に合わせ後代に設えられた木箱は「合わせ箱」です。
これらの木箱をさらに箱に仕舞うものは「二重箱」と呼ばれ、とくに大切にされていた重要な骨董品に見られます。
箱に記された本物の証明は「箱書き」と呼ばれ、保証書と同様の効力があり、特に茶道具の世界では箱自体が高い価値を持ち、品物自体の価値と同等にその来歴を重んじています。
保証書と箱書きは作品の価値を証明する一方で、保証されているにも関わらず中身のみが贋作であるケースも残念ながらあり、古美術骨董の最も難しいところと言えるかもしれません。
茶器に共箱が付属し始めたのは室町時代と言われ、これは日本独自に発展したもので、大陸から渡来した唐物には日本国内で合わせ箱が設えられました。
江戸時代中期までは桐箱でなく杉の箱が主流であり、それ以前の時代と伝えらえる作品が桐の共箱に納められていたら疑わしい、という判断材料になります。
骨董品の査定ポイントは上記のように多岐に渡り、それぞれ確かな眼で鑑定できる実力が求められます。
業者ごとに得意分野・不得意分野があることも事実で、より高値での買い取りを狙うためには買取り実績が豊富であり、強みのある分野を明記している業者を選ぶことをお勧めいたします。
日本の土蔵は、木造家屋を中心としてきた伝統的建築様式の中でも特殊なもので、中世から近世にかけて住居の敷地内に建てられました。
土壁の上に漆喰を塗り重ねた漆喰総塗籠、または瓦と組み合わせ文様となるなまこ壁が主流で、壁の厚さは30cmにも及び優れた耐火性がありました。
富裕な町人が現れ始めた江戸中期からは市井の裕福な家庭を中心に蔵が建てられ、江戸で頻発した火災時には出入りの左官屋が蔵の窓を土でふさぎ、蔵内への延焼を食い止めたと言われています。
時代は下り現代的な住環境に変わるにつれ、敷地内の蔵を廃し倉庫に変更されたご家庭もあり、秘蔵され続けてきた品物には、戦災や火災をまぬがれた古今の名品が眠っている可能性があります。
普段立ち入らない蔵や倉庫を整理される機会としては、ご家族さまの生前整理または遺品整理が多く、その中からご売却を賜るケースが多くございます。
現在では骨董品の範疇にはいる品物は、非常に多岐に渡っています。
その中でも高価買取となるのが、江戸時代以前に作られ100年以上が経過した、アンティークに相当する骨董品、由緒正しく来歴が書付けられた茶道具、美術刀剣類、人間国宝指定の作家による陶磁器、などが挙げられます。
いずれの品物も、そのジャンル内での甲乙はありますが、総じて近現代の美術品の評価額を上回る傾向にあります。
時代や作家の真贋など、お持ちの品物に確信が持てない場合でも、査定を受けることで真価が確認できます。
いわの美術では査定にまつわる経費や諸費用等、いっさいお客様へ請求いたしません。
宅配・出張での査定、オンライン査定ともに無料にて行っておりますのでご安心下さいませ。
ご売却をお決めの場合も、検討段階の場合も、お気軽にお問合せいただけたら幸いです。