佐野繁次郎は昭和初期の洋画家です。
マティスに師事しその大胆さを受け継ぐ一方、一見適当に見える手書き文字は洗練したアートとして大変人気があります。
大阪の裕福な家で生まれ育った佐野繁次郎は、15歳の頃 佐伯祐三に誘われて赤松麟作の画塾に行きますが、すぐに辞めてしまいます。
20歳で上京しアトリエ付きの住居に住み、岸田劉生などの画家と交流を深めますが、23歳の時に関東大震災に被災し大阪に戻りました。
翌年には母親の勧めで大阪に開設されたばかりの信濃橋洋画研究所に通い、小出楢重、黒田重太郎、鍋井克之などの名だたる画家の指導を受けたにも関わらず、長続きしません。
絵画の他に文学にも興味があったようで、小説や戯曲を発表した時期もありましたが、最終的には絵の道に進みます。
1929年29歳で二科会に初入選し、翌年から赤坂にアトリエを構え、雑誌の表紙や本の装幀を請け負うようになりました。
1937年37歳でフランスに渡りアンリ・マティスの元で学び、この時期を境に作品にもはっきりと装飾的な変化が起きています。
第二次世界大戦が始まる頃の1939年夏に帰国しました。
戦中に熱海に移住し、戦後の復興期は思わぬ形で世間の注目を浴びることとなります。
1949年の新聞に連載されていた小説の登場人物である、美しき女店主の不倫相手の画家の実在モデルと言われました。
女店主の夫側から夫権侵害の損害賠償を起こされたり、離婚があったりなど、ほぼ小説と同時進行であると大きく報道されたそうです。
その後 佐野繁次郎は1951~1953年に再びフランスを訪れています。ホアン・ミロに面会し、金山康喜と交流しました。
この頃から本格的に油彩画に取り組み多くの作品を残しています。
今回お買取りした鉛筆画もこの時期の作品です。
本の装幀を始め、ロゴやパッケージデザインなど多方面で活躍し、82歳でパリに制作旅行へ行くなど晩年も精力的に活動し、1987年 熱海にて87歳で他界しました。
現在でも使用されているロゴがあるなど、非常に人気の画家であり、貴重な肉筆画は中古市場でも高い需要があります。
佐野繁次郎は少年時代からの友人・佐伯祐三が僅か30歳で亡くなった時に追悼文を書き、その中で絵の中の文字のことに言及しました。
作風が全く異なりますが、文字自体がアートの一部となっていることが、佐伯祐三との共通点です。
この2人こそ日本の洋画界で文字をアートに含めた起源と言えるでしょう。
佐野繁次郎の書く文字はうまくないですが不思議とお洒落です。
マティス譲りの軽やかで明るい作風に、味のある文字が絶妙なスパイスとなっています。
その独特のアートで200冊を超える本の装丁や、雑誌の表紙も多く残しており、佐野繁次郎の手掛けた『佐野本』を集めるコレクターやそのコレクションを紹介する本が出版され、装丁本展が開催されるなど 今も人気は衰えません。
いわの美術では佐野繁次郎の鉛筆画や油彩画、装幀画稿などの作品を買取強化中です。
佐野繁次郎が装幀を手掛けた本のコレクション処分などにもご相談に応じていますので、お気軽にお問い合わせ下さい。
佐野繁次郎と交流のあった佐伯祐三、赤松麟作、岸田劉生、小出楢重、黒田重太郎、鍋井克之、アンリ・マティス、ホアン・ミロ、金山康喜の作品もお買取りいたします。
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