明治~昭和に活躍した日本画の重鎮であり、ロマン溢れる歴史画を描いた安田靫彦による作品です。
淡く細い画風で、表情や心境がいきいきと表現されています。
安田靫彦は1884年に東京の料亭の家に生まれます。
病弱で休みがちであった小学校は高等科3年で退学しました。
13歳の時に横山大観、菱田春草、小堀鞆音の絵に感動し、画家を目指す決心をします。
当時、横山大観の作品『屈原』(1896年)がきっかけで坪内逍遥と高山樗牛による『歴史画論争』が勃発しており、歴史画を忠実に表す自然主義と、美的脚色を加えたロマン主義とで対立していました。
安田靫彦は正確な歴史考証に基づいた近代歴史画という新ジャンルを築いた小堀鞆音に14歳で弟子入りし、影響を受けつつ独自の作風を築いていきます。
早くから才能を開花し、院展の指導者であった岡倉天心に認められ奈良留学に選ばれました。
日本美術の原点と言える法隆寺壁画の模写や古美術の研究に没頭しますが、体調を崩し途中で帰京します。
そして結核が判明し鎌倉で静養後、好意を受け伊豆・修善寺温泉の新井旅館で療養することとなりました。
療養中も研究を重ね、技術を磨き、独自の画風を極めていきます。
回復後も度々 新井旅館に滞在しており、交流のあった横山大観、今村紫紅、小林古径、速水御舟、前田青邨などの画家も集まり出入りするようになり、伊豆は名画が生まれる場所となりました。
復帰後の安田靫彦は時代考証を忠実に正確に、それに加えて表情や雰囲気がある歴史画を描き、新古典主義と呼ばれました。
小林古径、前田青邨と合わせて『日本美術院の三羽烏』と呼ばれ、日本画壇を牽引していきます。
文化勲章(1948年)、文化功労者(1951年)を受章し、肺病に悩まされながらも制作を続け90歳でも院展に出品、1978年94歳で亡くなりました。
安田靫彦の描いた歴史上の偉人や美女は教科書やメディアに度々登場しており、今でも高い支持を受けています。
いわの美術では安田靫彦の作品をお買取りしております。
日本の歴史画は江戸後期に人気となった『武者絵』から明治に入ると民族意識を高めるための『歴史画』へと変化していきます。
その中で頭角を表したのは安田靫彦の師・小堀鞆音であり、『近代歴史画の父』と呼ばれています。
小堀鞆音が開拓した新たな歴史画は安田靫彦、前田青邨などに引き継がれ、多くの素晴らしい作品が誕生しました。
第2次世界大戦中は多くの画家が従軍画家となり更に政治色が濃くなり、安田靫彦も政府からの依頼で作品を制作しています。
戦後は歴史画を引き継ぐ日本画家が減少し、小堀鞆音や安田靫彦に師事していた羽石光志が『最後の近代歴史画家』として活躍し、1988年に他界しています。
描かれることがなくなった近代歴史画ですが、現在でも中古市場で人気です。
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