中国の絵画と聞くと、どのようなイメージを浮かべるでしょうか。代表的なものに人物画、花鳥画、そして山水画がありますが、中でも山水画は他の中国絵画とは異なる特質を持っています。
山水画とは、主に墨のみで描かれる、その呼び名の通りに山や渓谷、川といった自然をモチーフとした絵画です。しかし、人物画や花鳥画が実物を写し取るのに対し、実際には存在しないイメージとしての大自然を描くことが山水画の特徴といえます。
また、漁師の姿が書き込まれることも多いのですが、漁師は「自由な境遇」「太公望をイメージさせる在野の逸材」「桃源郷へ到達できる選ばれた者」などを現すモチーフです。
このように、山水画は写実性よりも芸術的で文学的な意味を重視し、作者の心情や思想を表現するために雄大な自然の光景を再構成する、という手法で描かれます。心の中で景色を捉えること(胸中山水)や、実際に描く前に心の中で描き上げる(意在筆先)が山水画の精神であり本質です。これらの点から、西欧絵画でいう風景画とは大きく異なっているといえます。
山水画は7世紀、唐代の王維(おうい)、李思訓(りしくん)、李昭道(りしょうどう)、呉道玄(ごどうげん)らにより始まり、唐滅亡後の五代十国時代にその手法が確立されました。五代十国時代では、華北(淮河より北)と江南(長江より南)で異なる作風であることも特徴で、華北の作家は切り立った荒々しい山々を力強い筆跡で、江南の作家は豊かな山水を淡い水墨で描くようになります。
五代十国時代の作家としては、華北の荊浩(けいこう)、関同(かんどう)、李成(りせい)、江南の董源(とうげん)、巨然(きょねん)の名が知られています。
再び中華が統一される10世紀後期、宋の時代には、山水画を始めとした中国美術、芸術が大きく発展しました。山水画の作家では、范寛(はんかん)、郭煕(かくき)、李唐(りとう)などが著名です。また宋代はそれまでの芸術文化を支えていた貴族が没落し、代わって上級官僚である士大夫が台頭します。
この頃の宮廷画家は院体画と呼ばれる花鳥画を主に描いていましたが、士大夫は文人画と呼ばれる山水画を主に描きました。文人画の作家としては、北宋時代の蘇軾(そしょく)、李公麟(りこうりん)、米芾(べいふつ)、南宋時代の梁楷(りょうかい)、牧谿(もっけい)が知られています。
宋が倒れ元代には元末四大家と呼ばれる黄公望(こうこうぼう)、倪瓚(げいさん)、呉鎮(ごちん)、王蒙(おうもう)なども現れました。そして明代に入ると、院体画の流れをくむ北宋画、文人画の系譜となる南宋画に分かれます。
明王朝末期の官僚で、文人画の大家として知られる董其昌により、南宋画がもっとも優れたものとされて以降は、文人画である南宋画の流れをくむ水墨画が中国美術の本流とされるようになりました。
なお、墨のみで描かれる南宋画(水墨画)に対して、北宋画は着色された山水画でしたが、この北宋画は鎌倉時代に日本に伝わり、室町時代に発展しています。雪舟、狩野正信(狩野派)などが描いた作品は、北宋の系譜に連なっているのです。
雪舟や狩野正信らの水墨画は、やがて日本独自の技法で描かれるようになり、特に狩野派は室町末期から江戸期まで長く日本水墨画の主流となりました。
現在の中国では骨董品の海外流出を規制しているため、すでに国外に出ている作品しか売買はされていません。しかし、日本には20世紀初頭に多くの山水画が入っており、現在でも高額で取引されています。
中国美術は古いものが残りにくいため、唐代の作品などはほぼ現存していないといわれます。宋代、元代のものがあれば、国宝クラスの価値となる可能性もあるでしょう。
「いわの美術」では、骨董品の他にも着物や茶道具を始めとした幅広いお品物を買取しています。ぜひご利用をご検討ください。